日本100名城 069番 鬼ノ城(鬼城山) 岡山県総社市




日本100名城 069番
鬼ノ城(―)
国指定史跡
写真(上)は復元された西門から角楼にかけての遠望
写真(下)は

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(歴史)

鬼ノ城築城の時期については諸説があるが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救済のため出兵した白村江の海戦(663年)において大敗した後、 唐・新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられている。
 それは標高約400mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城であり、吉備高原の南端に 位置する。 眼下の総社平野には集落が営まれ官衙(役所)、寺院などが造営されたという。
 鬼ノ城の山容はすり鉢を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面になっているが、 山の八〜九合目より下は著しく傾斜している。 この山頂部との傾斜が変化する部位に 城壁が築かれ、全周2.8kmにも及ぶ。
 城内はおよそ30haという広大な面積があり、 これまでに礎石建物跡、溜井(水汲み場)、土取場などが見つかっており、今後も 調査は続けられていくという。


(100名城訪問日記)

この日は小春日和。 服装は、古代山城、『鬼ノ城』の雰囲気に合わせて、薄手の高級ダウンジャケットに、 ヴィンテージ・ジーンズをコーディネートしてきたのだが、 友人にはその服装が暑苦しく感じたようで、 「お前はいつも服装に失敗するな〜」との指摘を受けた。
 私は、普段のファッションに関しては無頓着で、気温に合わせてテキトーな服装を選ぶ傾向があるが、今回のように、 100名城や国宝建造物などの史跡巡りをする際には、全く話が違ってくる。
 その目的地のTPOに合わせて、普段はあまり着ない革ジャンやピーコート、時にはトレンチコートを着て、 まずは服装から気分を盛り上げ、史跡散策を楽しむようにしている。 だから、ファッションを優先するあまり、多少、季節はずれの服装になってしまう場合もあるのだ。 
 しかし、友人にいくらそのことを話しても、ただやせ我慢しているだけだと言って聞き入れてもらえない。
 『半ズボン』ファッションに、深いこだわりを持つその友人なだけに、私のこだわりにも理解を示してもらえると思ったのだが、残念だ・・・。

それはさておき、この鬼ノ城は、同じ日に先に行った備中松山城とは、全く異質のものだった。
 『城』と聞くと、戦国時代や安土桃山時代、江戸時代などのものを想像しがちであるが、鬼ノ城の築城に関しては、 古代・飛鳥時代、大和朝廷の時代に遡るという。 これは『日本100名城』中、トップ3に入る古さである。  その上、鬼ノ城は、日本書紀などの文献に全くその記述が無く、どのような建物が建っていたかとか、 誰が何のために築城したのかなど、ほとんど分かっていない。
 ある意味、『日本100名城』の中で、最も謎の多い城の一つであるといえるだろう。

私たちは、城壁見学路、城内見学路をくまなく歩き、復元角楼や西門、北門、礎石建物群、高石垣の数々などを見学したのだが、 謎だらけの城であるがゆえに様々な想像力が膨らみ、かえって一層、古代史への並々ならぬロマンをかきたてられた。
 城内をくまなく見て回ると、かなりの時間と体力を費やしたが、 貴重な古代の史跡の数々を見学し、そのミステリーとロマンに浸れて、非常に有意義な時間を過ごした。
 私は古代の史跡の数々に対する興奮のあまり、結構早歩きで見学路を歩き回ったので、駐車場に戻った時には、 かなり汗をかいていた。
 友人の自動車に到着後、車内で暑苦しい高級ダウンジャケットをさっさと脱ぎ捨て、 次の目的地である吉備津神社へ向かった。

初回訪問日&撮影日 2013年04月08日

(※百名城スタンプ設置場所)
鬼城山ビジターセンター

@鬼城山ビジターセンター

この時期(4月8日)はまだまだ桜が咲いていた。 センター内では各種展示パネルをはじめ、地形模型・西門復元模型や映像解説などを見ることができる。


A鬼城山ビジターセンター内部

100名城スタンプ設置場所でもある。 ちなみに月曜日は定休日であるが、スタンプは外に設置されているので大丈夫である。 自販機は無いので注意。


B鬼城山地図

鬼ノ城の山容はすり鉢を伏せたような形状をしているそうだが、山内を歩いていてもその形状はよくわからなかった。


C城内見学路

鬼城山内の見学路はこのように整備された歩きやすい道がほとんどだった。  せっかく来たのに、手前にある西門や角楼だけ見学して帰ってしまうのはもったいない。 城壁見学路、城内見学路すべて隈なく 歩いて見て回るのをおすすめしたい。 ただし、城内には自販機が無いので、特に夏場には水分補給の水筒等は必携である。


D角楼と西門(共に復元)

ビジターセンターから見学路を歩いていると、まずはじめに見えてくる。 角楼と西門、最高所の鬼城山が一体となって、 強固な防御ゾーンを形成している。


E角楼

横方向からの攻撃を意図した特殊な防衛施設。 日本の古代山城では初めて具体的に確認された施設である。  ここは、屋根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を 長方形に張り出している。 その下部は、石垣積み、ほぼ4m間隔で6本の角柱が建っていたことが分かっており、 城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられる。 この上に建物があったかどうかは不明。


F西門

鬼ノ城は、四ヶ所に城門を設けている。 いずれも掘立柱の城門で、通路床面に大きな石を敷き、 床面と城門全面に2m近い段差を持つことを特徴としている。 西門は、南門と同規模の大型の城門で 間口3間(12.3m)、中央一間を通路とし、2間の奥行を持ち、12本の柱で上屋を支えている。


G西門

柱は一辺最大60cmの角柱を2mほども埋め込んでいる。 西門は日本最大の古代山城大野城の太宰府口城門 (間口8.85m)をしのぐ、壮大堅固な城門である。


H敷石

鬼ノ城では城壁の下の面に接して板石を多数敷きつめている。 幅は基本的に1.5m幅で、城内側の広いところでは 5m幅になる所もある。 敷石は多くの区間に敷かれており、総重量は数千トン。 通路としての役割もあるが、 敷石の傾斜などからみて、もともとは雨水等が城壁を壊すのを防ぐことを目的としたものと考えられる。  日本の古代山城では鬼ノ城にしかない珍しいものである。


I北門

唯一背面側にある城門。 基本的な構造は他の西門・南門・東門と同じ堀立柱城門で、通路床面には大きな 石を敷いている。 規模的には東門ととに小型であった。 通路床面下には「排水溝」が設けられており、 日本古代山城では初の発見例だという。


J礎石建物群跡

城壁見学路ではなく、城内見学路内にあるので見逃さないように。。


K礎石建物群跡

城内中央部に7棟。5棟は倉庫だという。

交通アクセス

JR吉備線「服部」駅から約5km(JR総社駅からタクシーで約20分)

駐車場 鬼城山ビジターセンターに有り。そこから徒歩数分。

ドライブ難易度
難しい(★★★★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
駅から遠いので自動車によるアクセス一択だろう。
ただし、道中はかなり狭い道が続くので注意が必要である。

住所
岡山県総社市奥坂、黒尾

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