日本100名城 068番 備中松山城(―) 岡山県高梁市




日本100名城 068番
備中松山城(―)
国指定史跡、重要文化財3件
写真(上)は現存天守(重要文化財)
写真(下)は手前左が六の平櫓(復元)と、手前右が五の平櫓(復元)
周囲土塀(復元)、背後に現存天守(重要文化財)

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(歴史)

延応2年(1240)に有漢郷(現在の高梁市有漢町)の地頭に任ぜられた秋葉三郎重信により、臥牛山のうちの 大松山に砦が築かれたのが、備中松山城の始まりだという。
 その後小松山に移り、その縄張りは時代とともに変化。 天正2年(1574)に起こった「備中兵乱」時には、 「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれていたことが記録として残っており、臥牛山全域が一代要塞となっていたことが うかがえる。
 当時の城主三村氏が滅んだ後も、毛利家などの要塞として機能。 江戸時代に入ると、小堀正次・正一父子 により修改築が行われ、以降、池田市、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と変わり明治維新を迎えた。

現存する天守などは、天和3年(1683)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられる。
 天守は木造本瓦葺二層二階の建物で、内部一階には囲炉裏と装束の間が、二階には白の守護神を祀った御社壇がある。
 その南面に唐破風付出窓、 東面に入母屋造の突出部が付けられて、凝った意匠の造りになっている。


(100名城訪問日記)

この日は友人の車で、岡山県内をドライブする計画を建てた。  そのコースは、備中松山城(日本100名城)→鬼ノ城(日本100名城)→吉備津神社(国宝)→旧閑谷学校(国宝) という、4ヶ所を巡るものだったが、それぞれの見学時間が長くなりそうだったので、私としては珍しく、 ドライブコースに、このサイトのメインである『仏塔』を、一つも絡めないものとなった。
 まずは朝5時に自宅を車で出発し、6時に兵庫県内友人宅駐車場へ到着。 私の車にはETCが付いてないので、そこで友人の車に乗り換え、 最初に向かったのがこの備中松山城である。

この備中松山城は、大和高取城(奈良県)や、美濃岩村城(岐阜県)とともに、非常に標高の高い場所にあり、日本三大山城に数えられる。  その中でも備中松山城は、天守閣が現存する唯一の山城として有名である。
 この友人とは、去年の夏に高取城へ行った時も一緒だったのだが、彼はマムシが出没するという雑草が生い茂ったその登山道に、こともあろうか、芸能人の 勝俣州和が履いてそうな半ズボン姿で登ろうとして、かなり驚かされたのを覚えている。
 今回は普通の長ズボン姿だったのだが、備中松山城の登山道は、高取城のそれと違って、半ズボンでも登れるほど整備されており、道の雑草もそれほど生えてなかった。  だから友人には今回も半ズボンを貫き通して欲しかったところである。

と、前置きはさておき、この備中松山城。 それはまさに、「天空の城塞」と呼ぶに相応しい素晴らしいものだった。
 まずは、天然の岩石を活かして造られた石垣群は圧巻の一言。 天然の岩石と人工の高石垣が一体化し、 自然の要塞を形造っており、その迫力の光景は、山城の醍醐味を存分に味わえる。
 そして石垣群からさらに上へ進むと、日本の山城で唯一現存する天守が、その他の建造物や石垣の向こうに聳え立つ。
 この天守は二層二階と小ぶりなものではあるが、この山深い場所に建っているというだけで、その数割増に 大きく立派なものに見えてくる。
 よくぞここまで素晴らしい天守が、廃城令の際に、どこぞの政府役人連中によって、取り壊されずに残っていたものだと、感心させられた。

同じように『天空の城』と呼ばれる有名な城跡に、竹田城がある。 竹田城は、雲海に浮かぶその城跡の写真が あまりにも有名になりすぎて、全国から数多くの観光客が、平日土日祝問わず、押しかけているのだそうだ。
 竹田城がまだ、城マニア以外の人にそれほど知られてなかった頃は、大々的な観光地化もされておらず、ある種の『得体の知れない感』が漂う 神秘的な雰囲気の場所だった。
 しかし、いまや誰もが知っている場所となってしまい、観光客だらけの『フツーの人気観光名所』といった雰囲気の場所に成り下がってしまったのは残念な限りである。
 しかしこの備中松山城に関しては、平日に来ればまだ観光客もそれほど多くなく、しかも時期や条件などが合えば、竹田城に勝るとも劣らない雲海に浮かぶ姿が見られるようだ。
 山の頂に佇む「天空の要塞」。 そのつわものどもが夢の跡で、私たちはしばらくの間、悠久の刻を感じたのち、次の目的地である 鬼ノ城へ向かった。

初回訪問日&撮影日 2013年04月08日

(※百名城スタンプ設置場所)
受付窓口

@ふいご峠駐車場

備中松山城登城道に最も近い駐車場で、駐車スペースは14台程度。
 土日祝は城見橋公園駐車場から、このふいご峠駐車場まで シャトルバスが運行されているので、マイカーでこの駐車場に来れるのは平日のみである。 「ふいご峠駐車場」へ向かう道路は、離合困難な道が続くうえに、場所によってはガードレールが無い場所が見受けられた。
 もしそういう場所で離合に失敗すれば、崖下に真っ逆さまである・・・。
 しかし友人は、そんな難所も、まるでマイケル・ジャクソンが華麗なステップを踏んでるかのような、ドライブテクニックで、難なくスイスイ進んでいき、9時20分頃ここに到着した。


A備中松山城登城道

マムシ出没注意の雑草が生い茂った高取城では、半ズボン姿のために引き返した友人だったが、備中松山城登山道は、 結構整備されており、半ズボンで来ても全く問題なかったかだろう。


B石垣

ふいご峠駐車場から若い人の脚なら10分程度で、最初の石垣が見えてくる。


C大手門跡付近の石垣

人口の石垣と自然の岩盤が融合しているかのよう。


D岩盤変動監視システム

近年、岩の上に築かれた石垣に変形がみられ、崩落の危険性が生じてきた。 調査の結果、この石垣を支える自然岩盤に 亀裂が見つかり、それはわずかに動いており、岩盤自体も崩落の危険性があることが判明したという。 このため高梁市教育委員会は 京都大学防災研究所と共同で岩盤斜面の動きを調査・観測し、事前に被害を防止するための工法を検討していくという。


E三の平櫓東土塀(重要文化財)

四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えた三の平櫓東土塀。 城内で現存する建造物の一つであり、天守や二重櫓とともに重要文化財に 指定。 他に厩曲輪の土塀の一部が現存である。


F高石垣

複雑に入り組んだ石垣群。 周囲には桜の花が咲いている。


G六の平櫓と五の平櫓、後方に天守(重要文化財)

ここから見える範囲では、天守のみが現存。 他は近年に復元された建造物である。


H六の平櫓と五の平櫓、土塀(すべて復元)

すべて平成9年に史実に基づいて復元されたもの。 正面玄関の役割をはたし、入城料をはらう受付も兼ねている。  100名城スタンプ設置場所である。


I天守(重要文化財)

木造本瓦葺二層二階の建物で、内部一階には囲炉裏と装束の間が、二階には白の守護神を祀った御社壇がある。 美しい手斧と槍がんなの跡が見られる。 建物高さが約11mほどで、日本各地の現存12天守の内では最も小規模である。


J天守内部一階

1階には、調理や冬の暖をとるために長囲炉裏が掘られているが、城内で火を使うことは禁じられ、ほとんど使われることはなかったといわれている。 一段高い場所にある「装束の間」は、城主の御座所であるとされ、 また城が攻められた時に城主が自害をするための場所であるともされる。 他は備中松山城の関連物を展示。


K天守内部二階

2階には、愛宕権現や成田明神など9柱の神を祀った「御社壇」と呼ばれる舞良戸で仕切られた部屋がある。


L腕木御門(復元)

木造本瓦葺、棟門、開き戸。 二重櫓の正面脇に有り、本丸の裏門にあたる。


M二重櫓(重要文化財)

天守同様、天然の巨石を櫓台とした二層二階建の構造。 南北二つの出入り口は、北は後曲輪に、南は天守裏に通じている。


N天守内部から見た二重櫓(重要文化財)

天守に勝るとも劣らない貴重な建造物である。


O小松山山頂付近から見た城下

交通アクセス

JR伯備線「備中高梁」駅から車で約10分、下車後徒歩約20分
(※ 土日及び祝日には備中松山城ふもとの「城見橋公園」から「ふいご峠」までシャトルバス運行)

駐車場 城見橋公園と、ふいご峠に駐車場有り。 土日及び祝日のシャトルバス運行中は、城見橋公園⇔ふいご峠間の自家用車の通行不可。

100名城巡りドライブ難易度

城見橋公園駐車場まで(★★★)普通
ふいご峠まで(★★★★★)非常に難しい

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
城見橋公園までにせよ、ふいご峠までにせよ、自動車によるアクセスになるだろう。
 シャトルバス運休中はふいご峠まで自動車で行けるが、離合困難なかなり狭い道が続くので注意が必要である。

住所
岡山県高梁市内山下1

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