日本100名城 038番 岩村城(霞ヶ城)
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(歴史)岩村城は海抜717mで、全国の山城中、最も高所にあり、高取城・備中松山城とともに日本三大山城に数えられる。
(100名城訪問日記)この日は自動車で、大阪の自宅→松本城→高遠城→光前寺というコースでドライブした後、最後にこの岩村城へ
立ち寄った。
私は一人ドライブの行程すべてが、予定通りに終了し、後は自宅へ車を走らせるだけという、この達成感に浸れる瞬間が大好きである。
初回訪問日&撮影日 2012年11月20日
(※百名城スタンプ設置場所)岩村歴史資料館受付窓口(月曜日休館。月曜日が祝日の場合翌日休館) |
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@岩村歴史資料館 100名城スタンプ設置場所である。 ここの駐車場に車を止めて資料館見学後、本丸跡までは徒歩で向かう。 |
A再建された藩主邸 歴史資料館の駐車場向かいに建っていたが、見学は本丸登頂後にする。 |
B「クマ出没注意」の看板
『※市街地付近にも出没していますので注意してください!!!! ※キノコ狩り・墓参りなど山周辺へ行くときは「鈴」など携行しましょう!!』
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C下田歌子勉学所 山頂口手前にあった。文章を読んだが、岩村城との関連は不明。 |
D登山道入口 いよいよここから城山登山の始まりである。 |
E登山道 結構急な石段なので11月下旬のこの時期でも汗をかいた。 16時をすぎていたがすれ違うハイキング客多数。 |
F最初に見えてきた石垣 こういう名も無い石垣でも初めて見ると興奮する。 |
Gちらほらと残る紅葉 登山道を歩いていると、所々で紅葉が残っていた。 |
H本丸の6段の石垣 ついに岩村城跡のメイン的石垣である、6段の石垣が見えてきた。 ここまで来ると山頂はすぐそこである。 |
I本丸の6段の石垣 本丸の北東面に雛壇状に築かれた6段の見事な石垣。 元は最上部のみ高石垣だったが、 崩落を防ぐために前面に補強の石垣を積むことを繰り返した結果、現在の姿になったという。 |
J長局埋門跡 両側の石垣の上に多門櫓を載せ、石垣の間に門を設けた櫓門の跡。 |
K本丸跡 本丸には納戸櫓など二重櫓2棟、多門櫓2棟が石垣上に構えられていた。 東と北には一段低い位置に長局と 呼ばれる細長い曲輪が付属。 正門は東曲輪側の東口門である。 内部に施設は無く、広場となっていた。 |
L本丸からの眺め 本丸からは城下町が見下ろせる。 |
M岩村城の建物 城郭は中世城郭から近世城郭へと修築し、本丸、二の丸、出丸、帯曲輪、東曲輪、八幡曲輪等々が設けられ、 丸と曲輪は石塁や自然の断崖をもって区画。 要所に櫓、塀、城門が構えられていた。 明治維新により廃城。 明治十六年に建物は取り壊された。 |
N三好学の像 1862年、美濃国岩村藩士の子として、岩村藩江戸藩邸に生まれた。 近代植物学、環境保護の先駆者と言われている。 |
O藩主邸(太鼓櫓と表御門) 平成2年に再建。 江戸の平和な時代になると、城主が城の山頂(本丸)に住む必要がなくなり、慶長6年、城主 松平和泉守家乗は、城の山麓に藩主邸を造営した。 以後ここは政治の中心としての機能を果たす一方、 「太鼓櫓」を設け、城下に時を知らせ続けたのである。 |
交通アクセス
明和鉄道「岩村」駅下車、岩村歴史資料館まで徒歩20分(本丸まではさらに20分) 駐車場 有 100名城巡りドライブ難易度 (★★) (★1つ)非常に易しい (★2つ)易しい (★3つ)ふつう (★4つ)難しい (★5つ)非常に難しい おすすめアクセス方法 岩村歴史資料館前に駐車場があるので、そこに止めるといい。 本丸までは徒歩でしか行けない。 住所 岐阜県恵那市岩村町字城山 |
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