長野県指定重要文化財 光前寺 三重塔 (長野県駒ヶ根市)


光前寺(天台宗)
三重塔
17m
長野県指定重要文化財
文化5年(1808年)

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(歴史)

光前寺は、貞観2年(860)本聖上人が開いたという。 武田・羽柴家の保護を受け栄えたが、織田信長の兵火により焼失。  後に再建され、徳川家の保護の下、学問寺として隆盛をきわめ、信州五大寺の一つに数えられた。
 三重塔は山門脇、左手の杉巨木の中に建っており、もともとは応永年間(1394〜1427)に建立されたが、 享和3年(1803)に焼失。 現存の塔は焼失の5年後、文化5年(1808)に諏訪の大工・立川和四郎・四郎治によって再建された。  おおむね和様で、均整美と彫刻の美しさを誇り、江戸期建立の塔にしては過剰な装飾を排した端正な塔として知られる。  須弥壇には五智如来坐像を四方に向けて安置している。


(仏塔訪問日記)

光善寺へは、大阪の自宅から松本城へ行き、その帰りに高遠城へ立ち寄った後、やって来た。
 この光前寺の後、最後に岐阜県の岩村城に立ち寄り大阪に帰ったので、最終的にこの日は、 合計4ヶ所の史跡を巡ったことになるのだが、その中で唯一の仏塔がこの光前寺三重塔だった。
 私はもともと、仏塔を巡るのが好きでこのサイトを始めたのだが、いくつかの仏塔を巡ってるうちに、 仏塔以外の国宝建造物や、 100名城にも興味を持ち始め、最近では仏塔よりも、それらを巡る方が多くなってきている。
 しかし、この光前寺に立ち寄り、その素晴らしい三重塔を見た瞬間、やっぱり私が一番追い求めているのは仏塔なのだと確信した。

今月初め、私は、最後の国宝仏塔である羽黒山五重塔を参拝し、国宝仏塔をすべて巡ってしまったことにより、 正直なところ、「もう素晴らしい仏塔はほとんど行き尽くしてしまったのだろうか・・・」という、ある種の喪失感を感じていたのだが、今にして思えば、思い上がりも甚だしい。
 日本全国にはまだまだ私を感動させる仏塔が山ほどある・・・。
 光前寺三重塔を拝観したことにより、そのことを思い知らされ、私の仏塔熱が、再燃してしまったことは間違いない。
 私は、光前寺の仏塔をはじめとした堂塔の数々を、心ゆくまで見学し、感動冷めやまぬままこの地を去った。
 次はこの日最後の訪問地、岐阜県の岩村城へ向かった。


初回訪問日&撮影日 2012年11月20日


@仁王門

安置されている仁王像は大永8年(1528年)に作られたもので、駒ヶ根市の有形文化財に指定されている。


A杉並木参道

樹齢数百年の杉の巨木に囲まれた参道は鬱蒼とした雰囲気である。


B杉並木参道から右手方向

参道に続く石垣の石と石の間、本坊客殿の縁の下の一部などに、光苔が自生しているという。  それは四月中旬から十月の下旬まで間に限り、日の光を反射して美しく神秘的な光を放つらしい。


C三門

嘉永元年(1848年)に再建されたもの。十六羅漢を祀る。三門とは、涅槃に入るための三解脱門を意味するという。


D本堂

嘉永4年(1851年)に再建されたもの。入母屋唐破風造りこけら葺きの建築様式である。


E本堂

別角度から。 本堂は三重塔よりも新しく指定無ではあるが、 かなり立派な建物だ。


F本堂

本堂から左手に移動していくと・・・


G三重塔

鬱蒼とした木々の間に三重塔が建つ。 鬱蒼と茂る木々の間から垣間見た三重塔。 その幻想的な風景に思わず 息を飲んだ。


H三重塔

背後にまわって見た写真。 県指定文化財だが、国指定重文仏塔に引けをとらぬ荘厳さである。


I三重塔

手前にまわると、広々した場所から三重塔を見上げることができる。


J三重塔

三重塔だけでなく、光前寺の雰囲気、計算された伽藍配置なども素晴らしかった。 惜しむらくは、紅葉の時期が少し過ぎていた点であろうか。


K三重塔の彫刻

三重塔に施された美しい彫刻の数々は、立川和四郎の手によるものである。 文化五年(1808年)再建。


L三重塔

江戸期に再建された三重塔だが、一切の無駄な装飾を排したその姿は、室町期以前の仏塔に通ずるところがある。

光前寺への交通アクセス
JR飯田線「駒ヶ根」駅からタクシーで10分

駐車場 有

仏塔巡礼ドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

光前寺へのおすすめアクセス方法

駅からは非常に遠い。広々とした駐車場があるので自動車によるアクセスがおすすめである。

住所
長野県駒ヶ根市赤穂29番地

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