寺伝によると中山寺は、聖徳太子が建立したとされる日本で最初の観音霊場である。
現在の本堂や阿弥陀堂は、豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建したものである。
本尊は十一面観世音菩薩であり、古くから安産・求子の観音として、皇室、武家、庶民など、多くの人々に深く信仰されてきた。
中山寺は兵火により幾度も焼失してきたが、全国の諸大名や民衆の寄進により、その都度再建してきた。
織田信長が京都に上がった際、かつて存在した三重塔や多宝塔は伊丹城主の荒木村重の謀反により焼失してしまった。
江戸時代の中山寺「伽藍古絵図」には五重塔は描かれているが、現存はしていなかった。
中山寺五重塔は、400年前に焼失したとされ、長年再建されることはなかったが、再興の気運の高まりと、
中山寺管長の「大型木造寺院建築の伝統技術を後世に伝えることがお寺の使命である。」との思いにより、
2009年から再建の一歩が踏み出され、2016年(平成28年)に完成する。
この五重塔は当初、国宝・海住山寺五重塔をモデルに設計されることになったのだが、
同塔は高さ17.7mと五重塔にしてはやや小さく、細身のプロポーションになっている。
また塔の軒を支える『組物』は、大多数の五重塔が『三手先』になっているのに対し、
海住山寺五重塔は『二手先』である。
寺側が建築設計事務所に求めた高さがおよそ30mだったことから、
海住山寺五重塔の約1.5倍の高さにすることに決定。
となると、二手先では軒を支えきれない可能性が出てくるので、
結局、組物や垂木の間隔を決める『枝割』については、同じく国宝の、
明王院五重塔を参考にすることになった。
そして、二つの国宝五重塔のいいとこ取りにより、中山寺五重塔のプロポーションがかたまり、純木造の伝統工法により、建てられた。
(仏塔訪問日記)
中山寺は『安産の観音様』として全国的に知られており、ちょうど戌の日であったこの日は、
多くの妊婦さんとその家族連れが参拝していた。
私たちは自動車できたのだが、中山寺から最も近い民営駐車場料金が戌の日特別価格でなんと2000円。
いくらなんでも高すぎるなあと言葉に出しそうになったが、そこは我慢して中山寺の方向を見た瞬間、
見慣れぬ青い五重塔が高々と聳えているのに気づいた。
前回2012年に、第一子の安産祈祷で中山寺に来た時には、
2007年建立の多宝塔はあったものの、
この五重塔はまだ存在していなかった。
私にとって中山寺は、『安産の観音様』であるということと、
来るたびに新しい仏塔が建造されている寺院として大変印象が強い。
帰ってから早速この五重塔について調べてみると、
2016年(平成28年)にできたばかりの新しい五重塔であり、国宝・海住山寺五重塔と、
国宝・明王院五重塔という、2基の五重塔を参考にデザインされており、
伝統工法の純木造で建立されたものなのだという。
海住山寺五重塔と明王院五重塔。
この2基の五重塔はどちらも、国宝に指定された素晴らしい五重塔である。
私の中でも2基とも、すべての仏塔の中で、好きな仏塔ベスト10に入っており、
初見では感動のあまり、ある種の畏敬の念を抑えずにいられなかった仏塔である。
それらのある意味、仏塔界の横綱クラスの2基の五重塔を参考にしてデザインされた中山寺五重塔。
それは、奇をてらったところが一つもなく、質実剛健。
これから長い月日を経て、
現在国宝と呼ばれる30の仏塔に肩を並べるに至るのに十分な潜在性を秘めた、素晴らしい五重塔だといえる。