国宝 三仏寺 投入堂 (鳥取県東伯郡三朝町)




三仏寺
投入堂
国宝
平安時代後期

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(歴史)

三徳山三仏寺の創建の時期に関しては判然としない。  『伯耆民談記』によれば、慶雲3年(706年)、修験道の開祖役小角(役行者)が子守権現、勝手権現、蔵王権現の三所権現をこの地に祀ったのが始めとされているが、役小角は伝説的要素の多い人物であり、伝承の域を出ない。  また、前出の『伯耆民談記』によれば、嘉祥2年(849年)慈覚大師円仁が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三仏を安置して「浄土院美徳山三佛寺」と号したというが、この説も伝承の域を出ないものと思われる。
 このように平安時代末期頃までの寺史はあまりはっきりしていないが、現存する奥院(投入堂)の本尊・蔵王権現像の像内に納められていた文書には仁安3年(1168年)の年記があり、奥院の建物自体も様式上平安時代後期にまでさかのぼるもので、この頃には山岳修験の霊場として寺観が整っていたものと思われる。
 「三佛寺」の寺号に関しては、文献に現われるのは江戸時代中期以降のことであり、中世の文書記録等では、「美徳山」の名が散見される。
 近世に入って、慶長4年(1599年)には近隣の坂本村(三朝町坂本)のうち百石が三仏寺に寄進され、寛永10年(1633年)には鳥取藩主池田光仲から百石を寄進。これらの寺領は幕末まで維持された。天保10年(1839年)には池田斉訓が本堂を再建するなど、近世を通じて鳥取藩主の庇護を受けた。

国宝・奥の院「投入堂」は、慶雲3年(704)に、役行者が標高470mの大岩窟の中に、 その法力をもって投げ入れたといわれるが、もちろんこれも伝承の域をでない。  実際にこの建物が建立されたのは、前述のとおり本尊・蔵王権現像の像内に納められていた文書の内容から、 平安時代後期だと思われる。
 その建築形式は、神社本殿によく見られる流造であり、木材は檜、檜皮葺屋根、 屋根の左右には小さな反りのある縋破風と呼ばれる破風が取り付けられている。  平面は、桁行1間、梁間2間とするが、 桁行背面は中央にも柱が立ち、2間となっている。  平面規模は、縁の部分を含めて、正面が5.4メートル、奥行が3.9メートルである。柱は側柱を角柱、身舎部を太い円柱とする。 角柱は断面が八角形に近い大面取りとするが、これは平安建築の特色である。  組物は簡素な舟肘木。  支えとなる柱で一番長いものは8.5mであり、長短合わせて18本の柱はすべて岩肌に置いてあるだけである。  投入堂の東には愛染堂が付属する。 愛染堂は桁行一間、梁間一間、切妻造、檜皮葺きで、投入堂側の西面に両開きの板扉を設けている。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

まずはじめに断っておくが、私は三仏寺投入堂がある場所まで行っていない。
 上の画像は、三仏寺駐車場近くの遠望ポイントから撮った写真である。

周知の通り、三仏寺の国宝・投入堂がある場所へ行くには、 自然の起伏に富んだ非常に険しい登山道(行者道)を通っていかねばならない。  その険しい登山道はテレビでもよく特集され、『ロケみつ』の稲垣早希ちゃんや、 『やりすぎ都市伝説』のあばれるくんなどといった有名人が登山したことでも知られる。
 投入堂へ続く登山道は、そのあまりにの険しさにより滑落事故があとを絶たないため、 現在では一人での入山は禁止されている。  だからもし入山したければ、二人以上で行くしかないが、一人で行った場合は、 後から来る他人のグループに組み込んでもらう方法があるという。

で、私自身はどうしたかというと、この日のために、以前、 国宝・羽黒山五重塔へ一緒に行った友人を、実に4年半ぶりに誘い、登山用のシューズも購入し、 万全の体制でこの日の登山に備えていた。

いよいよ三仏寺登山当日。
 鳥取県の天気は、大雨・・・。

三仏寺投入堂へ向う登山道がある山上区域は、その危険性により、雨の場合は絶対入山禁止。  いや、仮に入山を許可されたとしても、絶対に登山したくないような、いわば、『入山→即→死』 とも言えるほどの土砂降りの雨だった。

思い起こせば、4年半前、その友人と最後に行った国宝、羽黒山五重塔でも、 今日のように、バケツをひっくり返したような大雨だった・・・。  更にもっと以前では、20代の頃に行った滋賀県のびわ湖バレイスキー場では、4月であるにもかかわらず猛吹雪になったり、 岐阜方面のスキー場へ行った時は、真冬なのに大雨で雪質が最悪になったりと、 どうも私とその友人が一緒に出かけると、大雨や吹雪といった異常気象を呼び寄せてしまうようだ。
 ちなみに私もその友人も、一人だったら大した雨男ではない。  このサイトを見てもらったら分かるとおり、今まで私が一人で出かけた史跡の9割以上は、晴もしくは、曇りであり、 雨は1割以下、今回のような土砂降りだったのは数える程度しかない。
 もし『雨男世界ランキング』というものが存在するならば、私も友人も、 ランキング圏外だろう。 いや、圏外どころか、個々ではプロの雨男ではなくて素人同然。 ランキングの対象にすらなっていないと言ったほうが正しいだろう。

テニスや卓球、バドミントンといった、ダブルスがあるスポーツの世界において、 ランキングが低い選手のペアが、ランキング上位選手のペアを打ち負かすことは、決して珍しいことではない。  それは、選手の相性、戦術などにより、1+1が、10にも20にもなって、ペアでの実力が上位選手ペアの実力を 上回って勝利するということなのだろう。
 それと同じく、雨男に関してはズブの素人である私たち二人が、ひとたび同じ場所に集い、 フュージョンすることにより、 雨男世界ランキング上位のペアをも打ち負かすほどの、 いわば、『スーパー雨男』 とも言える存在になってしまうのである。

その『スーパー雨男』の例に漏れず、今回も土砂降りの大雨。 三仏寺入山、国宝投入堂参拝は、またの機会になってしまった。
 しかしいつの日か、その友人とまたこの地に来て、『スーパー雨男』のジンクスを打ち破って 入山し、二人で協力してフュージョンして『スーパー行者』になり、長く険しい行者道を突破し、 国宝投入堂参拝の夢を果たしたいと思っている。

長々と投入堂に全く関係のないことを記したが、それには理由がある。
 今回は大雨のため行者道挑戦はせず、「投入堂遙拝所」から望遠で投入堂を見ただけでこの地を後にした。  私は間違ってもそれで、この『三仏寺投入堂』という国宝建築を、拝観済にしようなどとは思っていない。  だから今の段階で、偉そうにこの国宝建造物の感想を述べるなど、余りにもおこがましいと言わざるをえない。
 いつの日か、投入堂への行者道を突破し、投入堂を間近に拝観できたその日こそ、 堂々とその感想を記したいと思っているのである。
だから、国宝建築評価チャート図も空白のままにしておく。

私たちは車道沿いの投入堂遠望ポイントへ行き、 望遠カメラで投入堂を撮影するも、大雨のためピントが全然合わなかった。  しかし、とりあえずはここでのやるべきことを終え、 更に激しくなる雨の中、次の目的地である島根県内唯一の三重塔有する 清水寺へ向かった。


初回訪問日&撮影日 2017年06月07日

(※国宝建造物撮影ポイント)
外構は撮影自由

@投入堂を遠望できる「投入堂遙拝所」

望遠鏡が設置されている(無料)


A「投入堂遙拝所」から見た投入堂

アクセス
JR山陰本線 倉吉駅からバス「上吉原」方面行きで40分、「三徳山寺前」下車

駐車場 有

国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝巡礼おすすめアクセス方法
駐車場までは自動車


住所  鳥取県東伯郡三朝町三徳1010

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