国宝 三仏寺 投入堂 (鳥取県東伯郡三朝町)三仏寺 投入堂 国宝 平安時代後期 HOMEに戻る | |
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(歴史)三徳山三仏寺の創建の時期に関しては判然としない。
『伯耆民談記』によれば、慶雲3年(706年)、修験道の開祖役小角(役行者)が子守権現、勝手権現、蔵王権現の三所権現をこの地に祀ったのが始めとされているが、役小角は伝説的要素の多い人物であり、伝承の域を出ない。
また、前出の『伯耆民談記』によれば、嘉祥2年(849年)慈覚大師円仁が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三仏を安置して「浄土院美徳山三佛寺」と号したというが、この説も伝承の域を出ないものと思われる。
国宝・奥の院「投入堂」は、慶雲3年(704)に、役行者が標高470mの大岩窟の中に、
その法力をもって投げ入れたといわれるが、もちろんこれも伝承の域をでない。
実際にこの建物が建立されたのは、前述のとおり本尊・蔵王権現像の像内に納められていた文書の内容から、
平安時代後期だと思われる。
実験的企画 国宝建築評価チャート図国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化(※)評価基準 ○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。 ○美しさ 見た目の美しさを点数化。 ○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。 ○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。 以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。 (国宝建造物訪問日記)まずはじめに断っておくが、私は三仏寺投入堂がある場所まで行っていない。
周知の通り、三仏寺の国宝・投入堂がある場所へ行くには、
自然の起伏に富んだ非常に険しい登山道(行者道)を通っていかねばならない。
その険しい登山道はテレビでもよく特集され、『ロケみつ』の稲垣早希ちゃんや、
『やりすぎ都市伝説』のあばれるくんなどといった有名人が登山したことでも知られる。
で、私自身はどうしたかというと、この日のために、以前、 国宝・羽黒山五重塔へ一緒に行った友人を、実に4年半ぶりに誘い、登山用のシューズも購入し、 万全の体制でこの日の登山に備えていた。 いよいよ三仏寺登山当日。
三仏寺投入堂へ向う登山道がある山上区域は、その危険性により、雨の場合は絶対入山禁止。 いや、仮に入山を許可されたとしても、絶対に登山したくないような、いわば、『入山→即→死』 とも言えるほどの土砂降りの雨だった。 思い起こせば、4年半前、その友人と最後に行った国宝、羽黒山五重塔でも、
今日のように、バケツをひっくり返したような大雨だった・・・。
更にもっと以前では、20代の頃に行った滋賀県のびわ湖バレイスキー場では、4月であるにもかかわらず猛吹雪になったり、
岐阜方面のスキー場へ行った時は、真冬なのに大雨で雪質が最悪になったりと、
どうも私とその友人が一緒に出かけると、大雨や吹雪といった異常気象を呼び寄せてしまうようだ。
テニスや卓球、バドミントンといった、ダブルスがあるスポーツの世界において、
ランキングが低い選手のペアが、ランキング上位選手のペアを打ち負かすことは、決して珍しいことではない。
それは、選手の相性、戦術などにより、1+1が、10にも20にもなって、ペアでの実力が上位選手ペアの実力を
上回って勝利するということなのだろう。
その『スーパー雨男』の例に漏れず、今回も土砂降りの大雨。 三仏寺入山、国宝投入堂参拝は、またの機会になってしまった。
長々と投入堂に全く関係のないことを記したが、それには理由がある。
私たちは車道沿いの投入堂遠望ポイントへ行き、 望遠カメラで投入堂を撮影するも、大雨のためピントが全然合わなかった。 しかし、とりあえずはここでのやるべきことを終え、 更に激しくなる雨の中、次の目的地である島根県内唯一の三重塔有する 清水寺へ向かった。 初回訪問日&撮影日 2017年06月07日
(※国宝建造物撮影ポイント)外構は撮影自由 |
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@投入堂を遠望できる「投入堂遙拝所」 望遠鏡が設置されている(無料) |
A「投入堂遙拝所」から見た投入堂 |
アクセス
JR山陰本線 倉吉駅からバス「上吉原」方面行きで40分、「三徳山寺前」下車 駐車場 有 国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★★) (★)・・・・・・・・・・非常に易しい (★★)・・・・・・・・易しい (★★★)・・・・・・ふつう (★★★★)・・・・難しい (★★★★★)・・非常に難しい 国宝巡礼おすすめアクセス方法 駐車場までは自動車 住所 鳥取県東伯郡三朝町三徳1010 |
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