国宝 都久夫須麻神社 本殿 滋賀県長浜市都久夫須麻神社 本殿 国宝 1602年(慶長07年) HOMEに戻る |
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(歴史)社伝では、雄略天皇3年に浅井姫命を祀る小祠が建てられたのが創建と伝えるが詳らかでない。 明治4年(1871)の神仏分離以前は、竹生島明神、または竹生島弁財天社と呼ばれ、宝厳寺を別当としていた。
市杵島比売・宇賀福神・浅井比売の神様を祀る。
実験的企画 国宝建築評価チャート図国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化(※)評価基準 ○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。 ○美しさ 見た目の美しさを点数化。 ○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。 ○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。 以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。 (国宝建造物訪問日記)この日、琵琶湖汽船を利用して、神仏習合の島・竹生島へ到着後、まずは165段の石段を登りきったとろこにある、宝厳寺の本堂や、三重塔、宝物殿などを見学し、
次に、別の石段を降りて行き、その途中にある、国宝・宝厳寺唐門を見学。
この日は、都久夫須麻神社本殿と接続する宝厳寺渡廊の部分が工事ネットで覆われており、更にそのネットが 本殿の前部分まで及んでいたので、本殿自体の撮影がかなり困難だった。 しかし拝観には影響が無く、 宝厳寺唐門同様、派手で美しい彫刻の数々など、桃山文化の特徴を十分見学できた。 宝厳寺と都久夫須麻神社は、明治時代の神仏分離令により分けられ、現在は別法人となっているが、宝厳寺の唐門・観音堂・渡廊から、
都久夫須麻神社本殿までに至る建造物群は、すべてをひっくるめて長い1棟の建造物のようにも見えた。
初回訪問日&撮影日 2013年11月22日
(※国宝建造物撮影ポイント)外観は自由に撮影可能だが、島内の狭い場所に建っているため全体像を撮影するのは少し難しい。 |
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@都久夫須麻神社本殿(国宝) 本殿は、ただですら狭い場所に建っている上に、この日はその手前に大きな工事用ネットが張られていたため、 写真のように、超見上げたアングルじゃないと撮影は出来なかった。 琵琶湖に向かう鳥居へ 『かわらけ』を投げて、その鳥居の間を通ると願いが叶うという『かわらけ投げ』は、 本殿手前の拝所から行えるのだが、その場所も、ネットで覆われてて、味気が無かったので、私は挑戦しなかった。 |
A背後から見た本殿(国宝) 本殿手前からが撮影困難だったので、背後に回ってみることにした。 結果はこの写真のとおり、 背後は実に素っ気ない感じである。 何にせよここへはいつかまた再訪したいものである。 |
B宝厳寺もちの木
都久夫須麻神社本殿の見学を終え、竹生島内を一通り巡り、出港まで時間があったので、島内を
もう一周することにした。
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C竹生島港に停泊する琵琶湖汽船 島内を巡り終え港に戻ると、琵琶湖汽船手前には観光客集団の長蛇の列が。 その集団はバスツアー参加者たちで、長浜港から島に来て、帰りは今津港へ向かうルートだったようだ。 それにしても、この島へ来てる人は、大半が年配者だった。 |
D船上から見た都久夫須麻神社本殿(国宝) 船から望遠で撮影するも、やはり工事ネットが邪魔だった。 船から撮影する場合は、 今津港往復路よりも、長浜港往復路の方が上手く撮れたかもしれない。 もし再訪するなら、 長浜港ルートにしよう・・・。 |
E船上空を飛ぶ鳶 竹生島到着時に飛んでいた鳶と同じ鳶だろうか? 遥か上空を、まるで私の乗る船についてくるようにいつまでも飛び続けていた・・・。 |
アクセス
JR北陸本線「長浜」駅下車。徒歩10分で長浜港へ。長浜港から船で30分
又はJR「近江今津」駅下車。徒歩5分の今津港から琵琶湖汽船乗船25-30分 駐車場 無 自動車の場合、長浜港もしくは今津港周辺の駐車場を利用し、港からは船で。 国宝巡りドライブ難易度 (―) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい おすすめアクセス方法 琵琶湖汽船を利用。港は「長浜港」か「今津港」のどちらからかを選択する。 住所 長浜市早崎町1665 |
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