日本100名城 010番 山形城(霞ヶ城) 山形県山形市日本100名城 010番 山形城(霞ヶ城) 国指定史跡 写真 二の丸東大手門 平成3年に再建 HOMEに戻る |
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(歴史)山形城は、最上氏の祖・斯波兼頼が延文2年(1357)に築城した。
(100名城訪問日記)この日は2泊3日の東北旅行の最終日だった。 早朝に米沢市内のホテルを車で出発し、山形市内のレンタカー屋に到着。
私たちはレンタカー屋から山形駅方向へ歩き、そこから徒歩数分で山形城南門に到着した。
私たちはその後、同じ霞城公園内にある、100名城スタンプ設置場所『山形市郷土館』へ向かった。
私たちは山形城と旧済生館本館をじっくり見学した後、山形駅から電車に乗り、今回の東北旅行の最終目的地である、 『山寺』へ向かった。 初回訪問日&撮影日 2012年11月09日
(※百名城スタンプ設置場所)最上義光歴史館、山形市郷土館受付窓口 |
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@南門入口付近 山形駅西口から徒歩数分でたどり着いた『霞城公園』入口。『霞城』と呼ばれるようになった 理由は、関ヶ原の合戦の頃に直江兼続(上杉軍)が富神山の麓からお城を十日間見てたが、 霞がかかって何も見えなかったことから『霞城』と呼ばれ、現在もそれが定着していて『霞城公園』 と呼ばれている。 |
A南門付近の石垣 二の丸の石垣・土塁・水堀は、山形城で残る数少ない遺構である。 |
B二の丸南大手門跡
この南大手門跡を横目に公園内に入るも、体育館等があるのみでこのあたりは観光地的雰囲気は皆無である。
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C巽櫓石垣跡 外堀沿いに歩いている途中で見た巽櫓石垣跡である。この周辺ではジョギングや散歩をする人が多数見受けられた。 |
D二の丸東大手門 この門は平成3年に復原されたものである。 もともとは鳥居氏の時代に建造された二ノ丸東西南北の門の一つである。 二ノ丸の4つの門の内最も規模が大きかったという。 |
E二の丸東大手門 現在、実質的に山形城の建物はこの東大手門(復元)のみである。 中では山形城に関する資料が多数展示されているが、 観光地というよりは、資料館といった印象である。 |
F二の丸東大手門 東大手門手前から見た二ノ丸の塁線の土塁。 春には桜の花が咲き乱れ、 山形城の史跡よりもむしろ、桜目当ての観光客が多数訪れるという。 |
G最上義光像と二の丸東大手門 二の丸東大手門から中に入ると、真っ先に目に付く最上義光像。 |
H最上義光像 昨日行った新発田城の溝口秀勝像に比べると、かなり勇ましい印象の像だ。 かなり武闘派の人だったのだろうか? |
I本丸一文字門石垣と大手橋 かつて明治維新の際に山形城が売却され、本丸の堀は全て埋め立てられたという。 現在はそれを掘り起こして南東の一文字門を復原中とのことである。 |
J大手橋 史実に基づき日本古来の建築様式により木造建で復原したという。 |
K旧済生館本館(重要文化財) 現在は山形市郷土館として使用されており、100名城スタンプの設置場所でもある。 明治11年に「済生館」という名前で建造された県立病院が、明治21年には民営になり、明治37年には市営になる。 その後、昭和41年に「済生館本館」が重要文化財に指定され、昭和44年には霞城公園内の現在の場所に移築され、 「山形市郷土館」として開館したという。 |
L旧済生館本館(重要文化財) 擬洋風建築のモダンな外観が珍しい。 |
M旧済生館本館中庭 内部の展示物の数々は撮影禁止なので、中庭だけを撮影した。 |
交通アクセス
JR奥羽本線・山形新幹線「山形」駅下車、西口から南門まで徒歩約8分、 または東口から東大手門まで徒歩約12分 駐車場 有 100名城巡りドライブ難易度 (★) (★1つ)非常に易しい (★2つ)易しい (★3つ)ふつう (★4つ)難しい (★5つ)非常に難しい おすすめアクセス方法 都合に応じてどのアクセス方法でも問題ない 住所 山形県山形市霞城町3 ほか |
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