重要文化財 山寺 立石寺 三重小塔 (山形県山形市)


山寺 立石寺(天台宗)
三重小塔
重要文化財
永正16年(1519年)

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(歴史)

山寺は、正しくは宝珠山立石寺といい、貞観2年(860)清和天皇の勅願によって、慈覚大師が開いた 天台宗の寺である。
 鎌倉時代には、山上山下三百余の寺坊に一千余名の修行者が居住、東北仏教界の中枢をなしていた。
 戦国時代、山内が兵火をあびて一時衰退したが、江戸時代には、御朱印二千八百石を賜って再び隆盛を見て 宗教文化の殿堂を築き上げたという。
 立石寺三重小塔は、永正16年(1519)に建立された小塔であり、重要文化財に指定。 高さが8尺2寸(248センチ)と小さく、 岩窟の中に全体が納まっており、ガラス格子戸が張られている。
 その特徴は、和様を基本に組物、木鼻を禅宗様とした折衷様で、外観は室町時代の三重塔の特徴を表しており、 朱漆塗で主要部を金具で飾るなど、装飾性の強い小塔である。


(仏塔訪問日記)

その日私たちは、息を切らせながら1015段もの階段を登った。 すべては重要文化財の立石寺三重小塔を拝観するためである。  そしてついに登りきり、その三重小塔の姿を見た瞬間、私たちは驚愕することになった((((;゚Д゚))))。 それは岩窟内に 納められているうえに、ガラス格子戸が厳重に張られ、その姿をほとんど見ることができなかったのだ。 何のために 私たちは、はるばる山形までやって来て、1015段もの階段を上ったのだろうか・・・。 途方にくれた私たちはしばらくの間絶句し、その場に立ち尽くしていた・・・。

なぁ〜んてね(^O^)。 以上の、『せっかく1015段もの階段を登ったのに、三重小塔は ガラス格子戸が厳重に張られていて、全容を見ることができなかった・・・』 という 一連の流れは、かなりオーバーな表現ではあるが、仏塔関連のブログやサイトで、 『山寺三重小塔』訪問の際の、お約束の流れなのである。
 これだけネットで情報が氾濫した昨今、 立石寺の三重小塔が格子戸を張っていて全容を見られないことぐらい 、少しでも仏塔に興味がある人なら誰でも知っている。 ちなみにどうしても ガラス格子戸を張ってない状態での三重小塔を見てみたいという方は、 長谷川周著『仏塔巡礼 東国編 』にその写真が出ているので 参照していただきたい。

と、前置きはさておき、この日は2泊3日の東北旅行の最終日。  山形城を見学した後に電車で来たこの『山寺』は、この旅行の最終訪問地だった。  私は、重要文化財である三重小塔が、一応の第一目的でここに来たのだが、前途のとおり、それはまともに観ることができないことを知っていたので、 最後ぐらいは『仏塔』を少し忘れて、観光を楽しもうということで、今回の旅行の訪問先の中で、この『山寺』に最も長い滞在時間を取った。
 『山寺』は、山形県に旅行をするなら外せないくらい有名な観光地で、しかも紅葉の時期と相まって、駅を降りた瞬間から、多くの観光客が階段を降りていった。  駅から山寺への参道は土産物屋や食事処が軒を連ね、多くの観光客で賑わっており、観光客の多さでは、初日に行った松島にも勝るとも劣らぬ感がある。
 そして重要文化財の根本中堂を横目に進むと、山門に到着。 そこで入山料を払うと、いよいよ 1015段の石段の始まりである。
 私たちは十分な時間があるにもかかわらず、その石段を早歩きで駆け上って行った・・・。
 私はひとまず、『三重小塔』のことを忘れていたつもりでいたのだが、頭の片隅ではやはり、『三重小塔』を 見るのを一番の楽しみにしている自分がいたような気がする。 ガラス格子戸が張られていると分かってはいてもである ・・・。
 しかし、石段も終盤にさしかかり、岩場に建つ『開山堂と納経堂』そして、『五大堂』から見える雄大な光景を見た瞬間は、『三重小塔』のことを 忘れてしまっていた。
 まず、岩場に建つ『開山堂と納経堂』なのだが、それぞれの建物の配置とそして、背後に聳える紅葉に色づいた山々との組み合わせが俊逸である。  『山寺』のパンフレット等で多く使用される『開山堂と納経堂』のこの風景は、季節によっても様々な表情を見せる だろう。
 私たちはその風景を堪能した後、その背後の『五大堂』へ降りた。 そこは山寺随一の展望台の 役目を果たしており、なかなかの絶景を楽しめた。 紅葉の山々の麓にあるJRの駅舎や町並みはミニチュアのようであり、 さしずめ天然の箱庭のようだ。 私はその美しい天然の箱庭を何枚も写真に撮った。 それら写真を全部発表したいところだが、 似たような写真ばかりなので、一枚だけにした。

私たちは山寺の雄大な景色の数々を十分楽しんだ後、重要文化財『三重小塔』の存在を思い出した。
 格子戸が張られているとはいっても、これだけ素晴らしい『山寺』にあり、しかも重要文化財である。  期待してないとはいえ、それを逆の意味で裏切ってくれるのではないかと、私はこの時点で少しだけ期待が膨らんでいた。  そして私たちは案内表示板に従って歩き、ついに、三重小塔の場所にたどり着いた・・・。

苦労して1015段もの階段を駆け上がり、やっと三重小塔を見た瞬間、私たちの顔は、(´・ω・`)(´・ω・`)←こんな顔になっていた・・・。
 岩窟の中に収められた三重小塔の周辺には、バケツや植木鉢などが無造作に置かれており、拝観者に気持ちよく 見学させようという気持ちは皆無。 ガラス格子戸が張られているのはともかく、そのガラス自体も 長いあいだ掃除していないのか、汚れでくもっており、どんなに顔を近づけても、 中に納められた三重小塔の詳細を知り得ることはできなかった・・・。
 『立石寺三重小塔』・・・。 私はもともと期待はしてなかったのだが、実物を拝観してみて、その期待値の更に下を行っていたというのが 正直な感想だ。
 その感想は三重小塔に対してでは決してなく、せっかくの貴重な仏塔を、観光客にちゃんと見せようとしない寺院の姿勢に対してである。
 ただし、精密な三重塔が、巨大な岩をくり抜いた内部に作成しているという点での凄さは十分伝わった。
 中の『三重小塔』自体に関しては、はっきり見ることができない以上、感想は述べようがないので、 感想無しということで締めくくりたいと思う。

この『山寺』の観光を最後に、2泊3日の東北旅行は終わったわけだが、旅行を通しての感想は、とにかく 「長かった」とう一言につきる。
 いや、旅行そのものは、宮城・山形・新潟3県の、 かねてから行きたかった場所ばかり合計15箇所も巡れて、 非常に満足しており、あっという間に終わってしまった印象なのだが、その巡った十五ヶ所すべての文章を考えて、 このサイトにあげるのに、4ヶ月以上も費やして、最終的に年をまたいで、3月半ばになってしまったという意味でである。
 長引いた理由の一つは、この旅行後に第一子が産まれ、馴れない子育てに翻弄しながら、その合間に文章を考えていたからなのだが、 旅行後、4ヶ月以上経った今でも、巡った史跡の一箇所一箇所の風景や史跡の数々、そしてその場で起こった 出来事等が、鮮明な思い出として蘇ってくる。
 将来、愛娘にも是非見せてあげたい、多くの史跡や風景・・・。 私が今まで行った仏塔巡り関連の旅行の中では、この東北旅行が、最も思い出深いものになったのは間違いない。


初回訪問日&撮影日 2012年11月09日


@JR仙山線

山寺へはこの電車でやってきた。 降車して仙台方面へ立ち去る所を撮影。 気温もちょうどよく、絶好の観光日和だ。


A「山寺」駅駅名表示板

写真入り駅名表示板が少し珍しかったので撮影。 開山堂と納経堂が見えるこの風景は、『山寺』のメイン的位置づけかもしれない。


B「山寺」駅駅舎

駅のポスターには、『平成二十五年五十年に一度の御開帳〜薬師如来の御加護をすべての人々へ〜』と 書かれたポスターが貼ってあった。 残念ながらここに来たのは平成24年である。


C駅前から見た風景

駅前からは、はるか山頂近くの堂塔の数々が見える。 あんな高い場所まで登るのかと考えると、心が折れそうになる 人もいるかもしれない。


D根本中堂(重要文化財)

延文元年(1356年)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・五間四面の建物で、ブナ材の建造物では日本最古 といわれ、天台宗仏教道場の形式がよく保存されているという。


E根本中堂(重要文化財)

その堂内には、慈覚大師作と伝える木造薬師如来坐像が安置され、伝教大師が比叡山に灯した灯を立石寺に分けたものを、 織田信長の焼き討ちで比叡山を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を拝することができる。


F山門

この山門より先は、いよいよ1015段の石段である。


G石段

1015段とう石段の数は、 日本でも有数のものである。 ちなみに熊本県の釈迦院が3333段で、山形県の羽黒山が2446段と、上には上がある。


H仁王門

嘉永元年(1848)に再建されたケヤキ材の門。 左右に安置された仁王尊像は運慶の弟子たちの作といわれている。  石段は半分をすぎていたかもしれない。 若い私たちは、途中で一休みしているお年寄りたちを横目に二段飛ばし で駆け上がって行った。


I開山堂と納経堂(山形県指定有形文化財)

ついに『山寺』のメイン的風景である、岩場に建つ『納経堂と開山堂』の場所まで来た。 1015段の階段はそれほど しんどく感じなかった。 途中で色々な堂塔や風景を見ながら登ったからあっという間に山頂近くに到着した印象だ。


J納経堂(左)と開山堂(右)

右の『納経堂』と呼ばれる小さな建物は、山内で最も古い建物だが、昭和62年に解体修理されている。  山形県有形指定文化財に指定。


K五大堂

山寺のメイン展望台とも言える五大堂の中は、常に観光客がいっぱいである。 一人の若い女性に写真を撮って欲しいと頼まれ たので撮ってあげたら、フラッシュが光らなかったと不本意な表情をしていた。
 どうでもいいが人に写真を撮ってもらうなら、ちゃんと自分でカメラの設定を済ませておくべきだ。


L五大堂からの眺め

美しい紅葉の山々の麓にある周辺の街とJRの列車の風景は、電車模型のジオラマを見ているようだった。


M釈迦堂

危険な岩場にあり、以前は修行者が立ち入っていたようだが、現在は立ち入り禁止である。  それにしても山寺は見所がつきない。


N三重小塔(重要文化財)

参拝コースから少し外れた民家風建物の脇にある。 観光客の大半はこの場所に立ち寄りもしないかもしれない。  三重塔として見るよりも、精密な工芸品をなかに収めている巨大な岩屋として見たら、かなりの迫力かもしれない。


O立石寺参道周辺の食事処(信敬坊)

私たちは山を降り、ここで遅めの昼食をとることにした。
 そういえば旅行三日目にして、昼食をとったのはこれが初めてだった。 一日に数箇所の神社仏閣や城郭を巡る場合、 それぞれ拝観時間に間に合わせないといけないと、大概、駆け足での訪問となる。
 よって昼食をとる暇が無いことが 多かったのである。


Pいも煮そば

私は山寺の名物である『いも煮』が入った『いも煮そば』を注文。
 ちなみに手前に写っているのは友人が注文した(フツーの)『肉そば』である。 値段は『いも煮そば』と同じ。 私が頼んだいも煮そばには、 山寺名物『いも煮』だけでなく、牛肉もたっぷり入っており、『肉そば』よりも圧倒的にお買い得だった。 
 心なしか、友人が悔しそうな顔をしていた気がするのだが、気のせいだろうか?


Q旅行の行程

2泊3日東北旅行の行程

11月7日(天気 快晴)

大阪空港から仙台空港へ。 空港から電車で仙台駅まで行き、レンタカーを丸二日間、 山形市内レンタカー屋乗り捨て契約で借りる。

@孝勝寺五重塔(宮城県仙台市宮城野区)
↓車
A陸奥国分寺多宝塔(宮城県仙台市若林区)
↓車
B仙台城(宮城県仙台市青葉区)
↓車
C国宝大崎八幡宮(本殿、石の間及び拝殿)(宮城県仙台市青葉区)
↓徒歩
D龍宝寺多宝塔(宮城県仙台市青葉区)
↓車
E輪王寺三重塔(宮城県千田市青葉区)
↓車
F多賀城(宮城県多賀城市)
↓車
G国宝瑞巌寺(本堂)H同じく(庫裏廊下)(宮城県宮城郡松島町)
↓車
初日の宿泊地である山形市内のホテルへ


11月8日(天気 雨)

朝一で山形市内のホテルを出発
↓車
I国宝羽黒山五重塔(山形県鶴岡市)
↓車
J善寳寺五重塔(山形県鶴岡市)
↓車
K乙宝寺三重塔(新潟県胎内市)
↓車
L新発田城(新潟県新発田市)
↓車
二日目の宿泊地である山形県米沢市のホテルへ


11月9日(天気 晴れのちくもり)

朝一で米沢市内のホテルを出発し、山形市内のレンタカー屋に到着。レンタカーを返す。
↓徒歩
M山形城
↓電車
N山寺三重小塔
↓電車
山形駅に戻り、土産物等の買い物。そしてバスで山形空港へ行き、関西空港行きの飛行機に乗る。帰宅。

宮城・山形・新潟、2泊3日の史跡巡り編 (完)

山寺への交通アクセス
JR仙山線「山寺」駅より徒歩7分で立石寺登山口

駐車場 周辺に有料駐車場が有

仏塔巡礼ドライブ難易度 易しい(★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

山寺へのおすすめアクセス方法

駅から近いので電車によるアクセスがおすすめである。自動車に関しては、 観光客数に対しての駐車場数が少ないようである。

住所
山形県山形市大字山寺4456-1

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