国宝 瑞巌寺 本堂(元方丈)工事中 宮城県宮城郡松島町




瑞巌寺
本堂(元方丈)工事中
国宝
1609年(慶長14年)

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(歴史)

平安時代のはじめ天長5年(828)、慈覚大師円仁により開創され、天台宗延福寺と称する。
 鎌倉時代中期の13世紀半ば、執権北条時頼公が法身性西和尚を開山とし圓福寺と改称、建長寺派の禅寺に改める。  圓福寺は鎌倉幕府の庇護の下に大いに栄え、室町時代も五山十刹制度の十刹に位置づけられ、末寺を作り発展。  しかし、戦国時代に寺勢は衰え、その末期に妙心寺派に属した。
 江戸時代に入って伊達政宗が禅僧虎哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、 慶長9年(1604年)から14年(1609年)までの工事で完成させた。  今に伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築はこの時のものである。  このとき寺の名を改めて「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と称した。

 この本堂は南東に面し、南西端に御成玄関を、南東端には庫裏に続く回廊に接続する。 大きさ正面39m、奥行25.2m。 入り母屋造りの本瓦葺で、部屋10室に分かれる。 慶長14年(1609年)に完成した。


(国宝建造物訪問日記)

この瑞巌寺へは多賀城市の多賀城跡を見学後に立ち寄った。 有料駐車場に到着した時間は15時45分。  参拝時間ギリギリだったので駆け足で受付に向かったが、なんとか間に合った。
 受付で参拝料を支払い、ワクワクo(^-^)oしながら境内に入ると、なんと、かねてより楽しみにしていた国宝本堂は、工事用ネットで完全に覆われ、 1ミリたりとも見えない状態に・・・。
 関西から高い旅費を払ってわざわざこの地へやって来た私たちは、その驚愕の光景に絶句し、その場でしばらくの間立ち尽くしていた・・・・・・。

・・・・っていうのはもちろん大嘘である。 ネットが発達したこのご時世。 仙台方面を旅行するにあたってそんな有名な情報が入ってこない訳が無い。  今回は、瑞巌寺内で同じく国宝である庫裏の内部が特別公開されているので、そちらを目当てに来たのである。
 本堂がこの状態だから、最初からこの瑞巌寺参拝を、コースから外すこともできたのだが、いかんせんその工事期間が 平成20年から平成30年までと、とてつもなく長い。 そんなに待っていたら私たちもかなり歳をとるし、その頃にまた仙台に旅行するか どうか分からない。 何よりも私がその年齢になって、まだ仏塔や国宝建造物巡りをやっているかどうかもあやしいものだ。

そんなこんなで私たちは、ネットに覆われたこの本堂をさっさと素通りし、もう一つの国宝建造物である庫裏の方へ歩いて行った。


初回訪問日&撮影日 2012年11月07日

(※国宝建造物撮影ポイント)

平成28年3月まで工事中のためそれまで撮影不可。


@参道

日本有数の観光地である松島では、多くの土産物屋や食堂が立ち並び、平日の遅い時間にもかかわらず数多くの 観光客がいた。 その街並みは同じ日本三景の一つである 天橋立に似てた気がする。


A瑞巌寺洞窟群

瑞巌寺受付へ向かう道のサイドにある。 なかなか雰囲気のある場所だ。


B瑞巌寺洞窟群内部

元来、納骨や供養の為の施設で、造営は鎌倉時代に遡り、江戸時代まで続いたという。 松島は古来、「奥州の 高野」と呼ばれ、浄土往生を祈念する神聖な霊場であった。


C仏塔風の謎の建物

詳しい解説は無かったが、相輪らしきものがついている。


D庫裏(国宝)

今回は本堂でなくこちらがメインということで。


E庫裏の横にある岩をくり抜いた建物


F岩と根っこのトンネル

これをくぐり、陽徳院御霊屋(重要文化財)へ


G陽徳院御霊屋(重要文化財)

陽徳院背後にある伊達政宗公の正室陽徳院田村氏愛姫の墓堂で、万治3年(1660)孫の綱宗によって造営された。

アクセス
仙石線 JR松島海岸駅より徒歩5分
東北本線 JR松島駅より徒歩20分

駐車場 無(周辺の有料駐車場を利用)

仏塔巡礼ドライブ難易度 易しい(★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

仏塔巡礼おすすめアクセス方法
都合に応じてどのアクセス方法でも問題ない。

住所
宮城郡松島町松島字町内91


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