(歴史)
龍宝寺は延暦22年(803)坂上田村麻呂が創建。 1186年には伊達家1世朝宗が常陸中村に再興し、
その後、伊達家により梁川、米沢に移転後、
天正19年(1591)、17代伊達政宗が、岩出山に移転後、慶長3年(1598)に城北の当地に、大崎八幡宮の別当として
移転したという。 明治の神仏分離により大崎八幡宮と分離し、廃寺になるが、明治33年大崎八幡龍宝寺再興、戦後に伽藍が復興される。
多宝塔は昭和63年、中興800年記念事業で築かれた本格木造塔婆である。
(仏塔訪問日記)
龍宝寺へは大崎八幡宮参拝後、徒歩で訪問した。
地図上では大崎八幡宮のすぐ隣りだったので、簡単に行けるかと思っていたが、少し住宅地に迷い込んでしまった。
住宅地を歩いていると、何と、先ほど大崎八幡宮で、本殿の近くに行こうとして
、宮司に注意されていた中年男性二人組
にまた遭遇した。
その二人組は何やら言い合っていたが、その話の内容から判断するに、その二人組も私たちと同じく龍宝寺へ
向かっているようだった。
・・・以下その会話。
中年A 「道が分からないな〜。お前ナビを出せよ。」
中年B 「そんなの出す必要ないって。」
中年A 「龍宝寺を登録してるだろ?だったら使ったらいいじゃん。」
中年B 「いや、目と鼻の先なんだし、わざわざカバンから出すの面倒くさいし。」
中年A 「だったら、なんでわざわざ、ナビなんて持ってきたんだ・・・?」
・・・みたいな中年男性二人のコント、もとい、やり取りを横目に更に住宅地を探していると、
赤色の目立った多宝塔が見えてきた。
龍宝寺の入口に到着である。
広々とした境内に多宝塔や、大金堂などが余裕をもって配置された美しい寺院だった。
さきほど陸奥国分寺で見た多宝塔は、RC造のものだったが、
こちらの多宝塔は、本格木造塔婆である。 遠目には違いが分からないが、近くに寄ると細部にまでこだわっているのが分かる。
私たちは少しだけ高台にあるこの多宝塔を、色々な角度から撮影し、この龍宝寺を後にした。
大崎八幡宮の駐車場に帰る途中、まださっきの中年男性二人組が、あれこれ言い合っていた。
あの二人は結局、龍宝寺に到着できたのだろうか・・・?
少しだけ気になりつつも、私たちは次の目的地、伊達家ゆかりの寺、輪王寺へレンタカーを走らせた。