日本100名城 008番 仙台城(青葉城) 宮城県仙台市青葉区


日本100名城 008番
仙台城(青葉城)
国指定史跡
大手門脇櫓 1967年(昭和42年)再建

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(歴史)

もともと青葉山には、千代城と称される鎌倉時代創建の城があったが、 1600年(慶長5年)、その場所に伊達政宗が2年あまりかけて築城したのがこの仙台城である。  天守は築かれなかったものの、2万坪と、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇り、本丸御殿の建物が建ち並んでいた。  政宗の死後は、二の丸御殿が作られ藩政の中心となる。
 こうした建物群も、明治時代に破壊され、残された大手門、脇櫓(隅櫓)(当時国宝)、衛兵所に使用していた二の丸表舞台楽屋なども、 太平洋戦争の空襲で焼失。 建物はすべて全滅した。


(100名城訪問日記)

この日はレンタカーを借りて、孝勝寺陸奥国分寺と巡った後に、この仙台城へ立ち寄った。
 ここへ来る途中、不馴れなレンタカーとカーナビであったためか、駐車場を行き過ぎてしまい、気づいたら東北大学のキャンパス付近まで車を 走らせてしまっていた。 慌てて東北大学の校門へバックで突っ込み、Uターンして来た道を引き返すと、駐車場は あっさり見つかった・・・。
 特に分かりにくい場所では無かったのだが、なぜ迷ったんだろう・・・?
 駐車場の中に入ると、平日であるにもかかわらず、ほぼ満車に近い状態。 空いた場所に車をとめて降りて、伊達政宗騎馬像の方へ向かうと、 熟年夫婦やカップル、そして修学旅行生など、数多くの観光客がいて、伊達政宗像の下では素朴な女子中学生の集団が、武将に扮した城関係者風の 人たちと記念写真を撮っていた。

ところで、ここ仙台城跡には、石垣は残っているが、主要建造物が全く残っておらず、再建された建造物もほとんど無い。
 あるのは人影もまばらな大手付近にある脇櫓(再建)ぐらいである。  にもかかわらず、なぜ仙台城跡には、これほど多くの観光客が訪れるのだろうか?
 その理由は築城者である、伊達政宗のネームバリューの強さによるところも大きいような気がする。
 伊達政宗の名は、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』の影響で一挙に知れ渡った。 ドラマ内でのその判断力や指導力といった男気あふれる印象が、人々の心に強く残る結果となる。  そして多くの人に支持され、放送から二十年以上経った今でも、全国に数多いファンが存在する。
 その伊達政宗が、築城し、居城としたのがこの仙台城なわけだから、伊達政宗に最もゆかりの深い場所として、全国から多くの観光客が訪れるのも必然といえる。

ちなみに、今回の東北旅行の初日、宮城県観光で私たちが立ち寄ったのは、この仙台城と、孝勝寺陸奥国分寺大崎八幡宮龍宝寺、 輪王寺、多賀城、瑞巌寺の8箇所だった。
 旅行前に私が、宮城県内の観光場所に決めたのは、国宝建造物または、仏塔がある寺社や、100名城に指定された城跡であり、仙台周辺だからといって、 特に伊達政宗ゆかりの地を 意識したわけではなかった。
 ところが偶然にも、多賀城を除く、すべての場所が伊達政宗に深い関わりがある場所だったのである。
 熱狂的な伊達政宗ファンでもない私だが、知らず知らずのうちに、『伊達政宗ゆかりの地を訪れるツアー』を企画して、自ら参加してしまっていた訳である。
 友人はおそらく、この事実に気づいていないだろう。 なんせ、企画した私自身も後から気づいたのだから・・・。

そんなこんなで、仙台城を後にし、次は伊達政宗がつくらせた社殿(国宝)がある、大崎八幡宮へ向かった。


初回訪問日&撮影日 2012年11月07日

(※百名城スタンプ設置場所)
仙台城見聞館展示コーナー

仙台城跡石碑

伊達政宗騎馬像

本丸跡北面出隅部分の石垣上から見た仙台市内町並み

仙台市内町並み

本丸跡北面出隅部分の石垣

大手門脇櫓
交通アクセス

JR東北本線・東北新幹線仙台駅下車、西口バスプール9番より仙台市営バス(動物公園循環)で約25分「仙台城跡南」下車、徒歩約5分。西口バスプール15番3より仙台市営バス(るーぷる仙台)で約20分「仙台城跡」下車、徒歩約3分

駐車場 有

100名城巡りドライブ難易度 (★★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
どのアクセス方法でも問題ない

住所
宮城県仙台市青葉区川内

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