重要文化財 金鑽神社 多宝塔 (埼玉県児玉郡神川町)![]() ![]() 金鑽神社(―) 多宝塔 重要文化財 天文3年(1534年) HOMEに戻る |
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(歴史)社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で叔母の倭姫命より賜った火打金を御霊代として、
この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが始まりとされている。
重要文化財に指定された3間4面の柿葺の多宝塔は、天文3年(1534)に、阿保郷丹荘の豪族である 阿保弾正全隆が寄進したもので、心柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那阿保弾正全隆」の 墨書銘がある。 (仏塔訪問日記)この日はお昼にレンタカーを借りて、国宝・正福寺地蔵堂(東村山市)→日本100名城・ 川越城(川越市)→日本100名城・鉢形城と 巡った後、重要文化財の多宝塔を有する金鑽神社まで来た。 ところで、当サイトは仏塔巡りがメインなので、サイト開設当初から五重塔、三重塔、多宝塔などの仏塔巡りを続けてきたわけだが、
日本全国で数多くある仏塔の中で優先して巡るべきなのは、やはり、国宝または重要文化財に指定された仏塔である。
鉢形城の見学を終えて金鑽神社に到着したのは4時すぎ。 まだまだ日は明るかったが、そろそろ薄暗くなり始めていた。
駐車場に車をとめて歩いていくと、すぐに多宝塔が見えてきた。 私はそれを肉眼で間近で見て、
やはり重要文化財仏塔は、無指定のものとは美しさのレベルが違うなと、感嘆のため息をついた。
仏塔の写真集を出版しているプロの写真家の方が、その写真集のあとがきで、
仏塔の写真を撮るにあたって、苦労したのはどういう時かということを述べていたのだが、
狭い場所に建つ仏塔を撮影する際に、その高さに対しての引きが少ないために、極端に近くから仰ぎ見るアングルになってしまうことや、
長い年月で和洋の黒塗りや木地の黒ずんだ塔は、天候を選んでもその木組みまでうまく写らないことなどを挙げていた。
で、金鑽神社多宝塔は、どうなのかというと、以上述べた仏塔撮影四大悪条件すべてを、それぞれ極端ではないにしろ、
少しづつ満たしているのである。
私はその余韻冷めぬまま、今晩泊まるビジネスホテルがある、群馬県藤岡市へ向かった。 明日、二日目は、群馬県高崎市の箕輪城(日本100名城)からスタートする。
泊まった藤岡市内の某ビジネスホテル 初回訪問日&撮影日 2016年08月13日
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金鑽神社への交通アクセス
JR東日本高崎線「本庄」駅、またはJR東日本八高線「丹荘」駅から、朝日バスで「新宿」バス停下車 下車後、 「新宿」交差点から国道462号線を東へ徒歩約20分 駐車場 有 仏塔巡礼ドライブ難易度 (★) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい 金鑽神社へのおすすめアクセス方法 自動車によるアクセスがおすすめ 住所 埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮750 |
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