日本100名城 019番 川越城(初雁城) 埼玉県川越市




本丸御殿(埼玉県有形文化財)

日本100名城 019番
川越城(初雁城)
文化財史跡区分(県指定史跡)

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(歴史)

川越城はもともと、長禄元年(1457)、扇谷上杉持朝がその家臣、太田道真・道灌父子に命じて築城させた城である。
 それから時は流れて天分6年(1537)、小田原を拠点に武蔵への進出を図っていた後北条氏が、川越城を攻め落とす。  天文15年(1546)、扇谷上杉氏は当時対立していた山内上杉氏・古河公方と共に、川越城の奪還を図るが、 後北条氏の奇襲により大敗。 後北条氏は北武蔵への支配を固めていく。
 天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻略の際に、川越城は、前田利家らに攻められて降伏し、 同年8月には、関東に封ぜられ江戸城に入っていた徳川家康が江戸に近い川越城にその重臣酒井重忠を置き、その後も幕府の有力大名たちが 川越に配置されていったという。
 寛永16年(1639)、川越城主になった松平信綱は川越城の拡張整備を行い、本丸・二ノ丸・三ノ丸・追手曲輪・新曲輪など の各曲輪、三つの櫓、13の門からなる、総面積99000坪あまりの規模をもつ近世城郭となった。


(100名城訪問日記)

関東地方へ一泊二日の史跡巡りへ来ていた私は、東村山市でレンタカーを借りた後、 国宝、正福寺地蔵堂を見学。
 その後車を走らせ、埼玉県川越市にある川越城へやって来た。

ところで私は、観光目的か、それ以外に関わらず、 埼玉県自体に足を踏み入れるのが、今回が初めてとなる。
 埼玉県は、47都道府県中、第5位の人口を誇る都会だが、 都道府県別魅力度ランキングでは40位を下回ることが多いのだという。
 インフラが整ってて、大都会東京が通勤圏という好立地にもかかわらず、 なぜ、魅力度が低いと判断されるのだろうか?
 それはおそらく、遠い地方からわざわざその県に観に来たいと 思えるレベル(例えば東京ディズニーランドなど)の、知名度が高い観光地が少ないという点が理由として挙げられるだろう。
 だから、遠い地方に住む私には、埼玉県の観光情報は、ほとんど入ってこない。
 せいぜい『出没!アド街ック天国』でたまに見る程度だ。  だから正直なところ、史跡巡りの趣味が無ければ、 一生足を踏み入れることもなかったかもしれないが、逆に言えば、史跡巡りの趣味があったからこそ、 今回の旅行先を検討する際に、真っ先に埼玉県内が候補に挙がったといえる。
 それぐらい、城郭や仏塔、国宝建築等の史跡巡りを趣味とする者にとって、埼玉県は 絶対に避けては通れない魅力的な県だということである。

とにもかくにも、川越城本丸御殿に到着。
 お盆期間中からなのか、駐車場はかなり混んでいたが、ちょうど出て行く車があったのですんなり停められた。
 私は真っ先に100名城スタンプ設置場所であり、川越城のメイン遺構ともいえる本丸御殿へ向かい、 受付とスタンプ押印を済ませ、内部の見学を始めた。  本丸御殿内部は当然、冷房など効いておらず、他の観光客は口々に、「暑いな〜。」と言いながら汗をぬぐっている。
 この日の埼玉県の最高気温は、31℃。 本来ならこの気温でも十分、夏日だといえるが、  私の住んでいる大阪のここ一週間の最高気温が35℃〜36℃だったのに比べると、 まるで秋のような気温に感じられ、むしろ快適に見学できた。

内部を見学していると、日本各地の『日本100名城』すべてのスタンプが押印されたポスターが 貼られた部屋があった。
 そこで親子が話をしており、父親の方が、 「お父さんはこの日本100名城のうち、82城を巡ったんだよ。」と自慢げに話していた。
 私は、「82城はすごいな・・・」と、思いつつ、自分は今現在、どれだけ巡ったのだろうかと気になり、 スタンプ帳をめくって、スタンプの数を数えてみた。  すると、先ほど押印した川越城のものと合わせて、56。 これから今日と明日に巡る予定の城を合われても、 60なので、その誰か知らない父親にはまだまだ到底及ばないことを思い知らされてしまった。
 私が80名城を巡り、それを娘に自慢できるのは、果たしていつの日になることだろうか。

ところで、川越城の本丸御殿についてだが、 現存例としては他に高知城の本丸御殿(重要文化財)があるのみで、 大変貴重なもののようだ。 しかし、『御殿』というくくりならば、 他に掛川城の二の丸御殿(重要文化財)や、 二条城の二の丸御殿(国宝)が現存する。
 これほど希少な建造物であるにも関わらず、川越城本丸御殿は、他の3つの現存御殿のように、 国の重要文化財の指定はされておらず、埼玉県有形文化財指定どまりである。
 その理由は、明治の廃城令で、もともとは16棟、1025坪の規模を誇っていた本丸御殿の ほとんどの部分が取り壊され、現存するのは、 玄関・大広間部分と、移築復元された家老詰所のみだからということなのだろう。

明治政府が打ち出した廃城令で、日本各地の一体どれだけの数の城の遺構が取り壊されたのだろう。
 維持管理費等の関係で仕方が無かったとはいえ、 もっと明治政府が、城を保存していく方向を模索するような政府だったら、 現在日本の、各地の観光資源はもっともっと充実し、 『都道府県魅力度ランキング』も全く違ったものになっていたかもしれない。

私は次の目的地である鉢形城へ車を走らせた。


訪問日&撮影日 2016年08月13日

(※百名城スタンプ設置場所)
川越城本丸御殿受付窓口

@本丸御殿


A内部の様子


B内部の様子


C家老詰所

交通アクセス

東武東上線・JR川越線「川越」駅および西武新宿線「本川越」駅から東武バス「神明町車庫行」で約10分 「札の辻」下車、徒歩約8分

駐車場 有

100名城巡りドライブ難易度 (★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
川越城本丸御殿見学で、駐車代金無料になる駐車場あり。
住所
〒350-0053 埼玉県川越市郭町2-13-1

地図中の19番

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