日本100名城 053番 二条城(―) 京都市中京区


日本100名城 053番
二条城(―)
国宝6棟(二の丸御殿遠侍および車寄・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院[小広間]・白書院[御座の間])
重要文化財建造物(22棟)、重文美術品(954面)、国指定史跡、国指定名勝
二の丸御殿建造年 寛永3年(1626)改修

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(歴史)

二条城は、慶長8年(1603)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の 宿泊所として造営。 この時の城は、現在の二の丸に相当する場所にあった。  三大将軍家光のときには、後水尾天皇行幸を迎えるため本丸御殿と総塗篭の白亜の 五重天守がつくられ、他に伏見城の以降を移したりなどして寛永3年(1626)に今日の規模の城が完成した。
 しかし天守は寛延3年(1750)落雷で焼失。 また、本丸御殿も天明8年(1788)の大火により失われたため、 その場所には明治27年(1894)、京都御苑内の桂宮邸が移築されている。

二の丸御殿は、武家風書院造の代表的御殿建築で、遠侍および車寄、式台、大広間、 蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟から成る。 それらは東南から西北にかけて並んで建っており、 建物面積は3300平方メートル、部屋数は33ある。 江戸時代初期に建造された建造物のうち、唯一残る遺構として大変貴重である。  その内部のいたるところに、狩野派の手による障壁画が飾られている。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(100名城訪問日記)

この日は、『京阪みやこ漫遊チケット』を使用して京都市内観光をしたのだが、まずは、東寺の蓮花門と、金堂大師堂(西院御影堂)観智院客殿という4棟の国宝建造物を見学後、 バスで西本願寺へ移動し、そこでは飛雲閣と、唐門という二棟の国宝建造物を見学した。
 次に『西本願寺前』バス停から9番系統のバスに乗り込み、『二条城前』バス停で降車。 『二条城前』バス停からすぐの場所にあるこの二条城へやって来た。
 バス停を降りた瞬間、私が何よりもまず驚いたのは、その観光客の多さである。
 その客層は、修学旅行生らしき団体から、外国人、カップル、 老夫婦、そして私のように、一人で訪れている若者や、中年男性など、実に様々である。
 その観光客集団の流れに、身を任すまま歩いて行くと、東大手門前のチケット売り場へ到着。
 券売機で入城券を購入し、東大手門、そして、唐門をくぐると、正面にあの有名な国宝建造物、 『二の丸御殿』が、堂々とした姿で建っていた。

私はこの後、二の丸御殿の内部を見学し、外に出て二の丸御殿周辺と、本丸御殿、本丸庭園、清流園などを散策したわけであるが、 今更、私のような得体の知れない者が、『国宝』、『世界遺産』、『日本100名城』など色々な肩書きを持ち、誰もがよく知る、この『二条城』を観光した感想や、その素晴らしさを力説したところであまり意味がないだろう。  二条城が素晴らしいことなど、私などに言われなくても誰でも知っている・・・。

そこで今回は、数多くの観光名所が存在する京都市内において、この二条城は、いったい何番目に 多くの観光客が訪れるのかという点に着目し、更には、『京都市は国際的観光都市と言えるか否か』という点 に着目して述べさせていただこうと思う。
 さっそく私は、家に帰ってからネットで調べてみると、おおまかに以下のような順位だった。

第一位 清水寺
第二位 嵐山
第三位 金閣寺
第四位 二条城
第五位 銀閣寺
第六位 南禅寺
第七位 八坂神社
第八位 高台寺
第九位 平安神宮
第十位 嵯峨野

(平成22年度) 

さすがに京都市内の観光名所トップ10ともなると、まさにそうそうたる顔ぶれである。 二条城に関してはその年によって、 4位〜9位あたりを上下するようだが、トップ3の清水寺、嵐山、金閣寺の観光客数を超すことは、ほぼ無いようである。
 数多くの観光客でごった返していた『二条城』であるが、その観光客数を超す観光名所が他に数多く存在する とは、さすが京都は世界に誇れる日本の観光名所である。
 ・・・・と、言いたいところだが、京都1位『清水寺』の年間観光客数ですら、 東京ディズニーランド&シーの年間観光客数には及ばないという現実をご存知だろうか。

更にもっと国際的な視点で見てみると、ある年の『世界の都市別外国人観光客訪問者数ランキング』 というデータをみていただきたい。

第一位 香港(中国)
第二位 シンガポール(シンガポール)
第三位 ロンドン(イギリス)
第四位 マカオ(中国)
第五位 バンコク(タイ)
第六位 アンタルヤ(トルコ)
第七位 マレーシア(クアラルンプール)
第八位 ニューヨーク(アメリカ)
第九位 パリ(フランス)
第十位 イスタンブール(トルコ)
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第二十三位 東京(日本)

(2010年度)

日本で一番外国人観光客数が多い都市である東京ですら、世界の中では23位であり、京都市に至っては、 50位にも入っていない。
 観光客の数だけで語れない一面もあるとはいえ、これでは京都市はもちろんのこと、日本の首都東京ですら、国際都市と言うには程遠いと言われそうだ。

ではなぜ、京都は、貴重な歴史的建造物が数多くあるにもかかわらず、国際観光都市となれないのだろうか?
 理由は明白。 京都に貴重な歴史的建造物が多いということを、外国人は知らないからである。
 例えば外国人に、昭和に再建された金閣と、500年以上前に建てられた銀閣、どちらを見たいか尋ねたら、大半が、見た目が派手な金閣の方を見てみたいと答えるだろう。

日本に来る外国人観光客のほどんどは、まず首都であり、店が多い東京へ来るだろう。  大都会東京では、時代の最先端を行くおしゃれな店でショッピングを楽しみ、超近代的建造物・スカイツリーに登ったりし、 少し足をのばせば東京ディズニーランドもある。 そして日本的な寺院建造物なども見てみたいと思ったら、 わざわざ京都まで来なくても、浅草寺や鎌倉などへ行き、そこで、再建された寺院建造物を観れば事足りるのである。
 日本に観光に来る外国人の大半は、その建物が現存建造物なのか、あるいは再建建造物なのかなどどうでもいい・・・、というより知らないのである。  となると、日本独自の寺社を見学する場合でも、極端な親日外国人以外の大半は、そこで日本的雰囲気さえ味わえればいいわけであり、それが古くからの現存建造物か否かなど あまり重要でない・・・と、考えることとなる。

京都には、二条城『二の丸御殿』を始め、世界に誇れる素晴らしい『本物』の歴史的建造物が多数ある。  都市の歴史の重みという点においては、『世界の都市別外国人観光客訪問者数ランキング』で上位にランクされているどの都市にも負けていない。
 はっきり言って、『世界の都市別外国人観光客訪問者数ランキング』には、一体、何でこんな歴史の浅いチンケな 都市が上位にランクされているのだと疑問を持ちたくなる都市もある。
 ただし、どんなに歴史が浅く、一見、薄っぺらに見える都市であろうと、京都市よりも外国人観光客が多く訪れているという事実、ひいては、観光客が京都市より魅力があると考えている事実に変わりはない。
 京都が歴史のある素晴らしい都市だという事実も、世界的に宣伝して知ってもらうようにしていかないと、 これからも外国人観光客は増えず、日本へ観光来る外国人の多くが、東京周辺だけ観光して帰ってしまうだろう。

何にせよ二条城は、世界に誇れる素晴らしい場所であることに違いはない。
 私は二条城の観光を終え、最後に外に出て東南隅櫓、西南隅櫓(共に重要文化財)を見学し、『二条駅前』バス停の方へ歩いて行った。
 次の目的地は、国宝本堂(千本釈迦堂)有する大報恩寺である。


初回訪問日&撮影日 2013年10月16日

(※百名城スタンプ設置場所)
元離宮二条城事務所

@東大手門(重要文化財)

入母屋造で屋根は本瓦葺、妻は木連格子、棟には鯱が飾られており、石垣と石垣の間に渡櫓を渡して、その下を門とした形式になっている。


A唐門(重要文化財)

切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造になっている。


B遠侍および車寄(国宝)


C式台(国宝)


D大広間(国宝)


E蘇鉄の間(国宝)


F黒書院(国宝)


G白書院(国宝)


H本丸御殿(重要文化財)


I天守閣跡

慶長期の天守は、家康によって現在の二の丸北西櫓に建てられたというが、3代家光の時に 行われた寛永の大改修時に淀城へ移築された。 これに代わり、新たに作られた南西隅(この場所)に、 伏見城の天守が移築されたという。 その天守は、取付矢倉が付属する層塔型5重5階の天守であったが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されなかった。 現在は、天守台のみが残っている。


J天守閣跡から見た本丸御殿と庭園


K北中仕切門(重要文化財)


L香雲亭(重要文化財)

内部は非公開である。


M北大手門(重要文化財)


N東南隅櫓(重要文化財)

天明8年の大火で多くの櫓が焼失してしまい,今はこの東南隅櫓と西南隅櫓が残るのみである。


O西南隅櫓(重要文化財)

この櫓だけ少し離れた場所にあるので、見ずに帰ってしまう人も多いのでは?  元来た『二条城前』バス停から遠ざかってしまったので、私はそのまま『二条駅前』の方へ歩いて行った。

交通アクセス

JR東海道本線「京都」駅から市バス「9・50・101号系統」で約20分 「二条城前」下車すぐ
地下鉄東西線「二条城前」駅からすぐ

駐車場 有

100名城巡りドライブ難易度 (★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
駐車場は混み合うので公共機関の利用をおすすめする。

住所
京都市中京区二条通堀川西入二条城町541


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