国宝 大報恩寺 本堂(千本釈迦堂) 京都市上京区大報恩寺 本堂(千本釈迦堂) 国宝 1227年(安貞元年) HOMEに戻る |
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(歴史)大報恩寺は、承久3年(1221年)、求法上人義空によって創建された。
実験的企画 国宝建築評価チャート図国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化(※)評価基準 ○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。 ○美しさ 見た目の美しさを点数化。 ○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。 ○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。 以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。 (国宝建造物訪問日記)この日は、『京阪みやこ漫遊チケット』を使用して京都市内観光をしたのだが、まずは、東寺の蓮花門と、金堂、大師堂(西院御影堂)、観智院客殿という4棟の国宝建造物を見学後、 バスで西本願寺へ移動し、そこでは飛雲閣と、唐門という二棟の国宝建造物を見学。 再びバスで二条城へ移動し、二の丸御殿を見学した後、『二条駅前』バス停で46番系統のバスに乗り込み、 『千本今出川』バス停で降車。 町中を数分程度歩いて、大報恩寺(千本釈迦堂)へやって来た。 町中で静かにたたずむ小ぢんまりとした境内に、国宝本堂(千本釈迦堂)がどっしりと建っていたのだが、 狭い境内には何本か木が植えられており、しかも駐車場には大きな観光バスが停まっていたので、 その全体像を撮影するのは困難だった。 本堂をあらゆる角度から撮影していると、本堂の右に、ふくよかな表情をした『おかめ像』の姿
が目に入ってきた。
里神楽等で、ひょっとこと共に、道化的存在として演じられ、時代の美意識とともに
不美人をさす蔑称として扱われてきた 『おかめ』・・・。
私は色々と物思いにふけながら大報恩寺を後にし、次の目的地である国宝本殿等を有する北野天満宮へ歩いて行った。 初回訪問日&撮影日 2013年10月16日
(※国宝建造物撮影ポイント)建物外観は自由に撮影可能 |
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@山門 その小ぢんまりとした たたずまいは、いい意味で京都らしくない雰囲気の寺院である。 |
A本堂(千本釈迦堂)国宝 境内には松や柳などの木が植えられており、正面から本堂を撮ると、建物のほとんどが隠れてしまう。 |
B本堂(千本釈迦堂)国宝 木に遮られず撮影しようとしたら、かなり近づかなければならず、見上げたアングルになってしまう。 |
Cおかめ像 非常にふくよかで愛嬌のあるいい表情だ。 悲しいおかめ伝説の話は必見である。 |
アクセス
市バス「上七軒」下車、徒歩数分
駐車場 有 国宝巡りドライブ難易度 易しい(★★) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい おすすめアクセス方法 場所が少しわかりにくいので、ナビ等が無ければ市バスによるアクセスがおすすめである。 住所 京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町 |
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