国宝 観智院 客殿 京都市南区


内部写真撮影禁止のため、塀の外から撮影した画像


内部写真撮影禁止のため、パンフレット掲載写真の画像

客殿(国宝)

観智院
客殿
国宝
1605年(慶長10年)

国宝建造物データ一覧に戻る

HOMEに戻る

(歴史)

鎌倉時代、後宇多法皇によって東寺の寺僧の住房が計画され、南北朝時代の 延文4年、1359年頃に杲宝(ごうほう)が創建した。
 観智院は教王護国寺(東寺)の塔頭で、別格本山である。  代々学僧が居住し、東寺の塔頭の中で最も格式が高く、当院の住持が東寺の別当職を兼ねた。  古来多くの経文、書籍を所蔵している。

客殿は、慶長10年(1605)に完成したもので、入母屋造、銅板葺の代表的な書院造の住居建築で、 床の間の「鷲の図」、襖絵の「竹林の図」は、宮本武蔵による筆と伝わる。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日、『京阪みやこ漫遊チケット』を使用し、京阪電鉄『東福寺』駅下車後、市バス『東福寺バス停』から202番系統のバスに乗り、『東寺南門前バス停』で降り、 最初にやって来たのが、東寺である。
 まず、蓮花門金堂大師堂(西院御影堂)といった東寺境内にある3棟 の国宝建造物を見学後、東寺北大門から境内を出てすぐの場所にある観智院へやってきた。
 この観智院は、春期と秋期、それぞれの決まった公開期間にしか内部拝観することができないので、 今回の京都市内国宝建造物巡りの日程は、この観智院公開期間に合わせて決定したようなものだった。  ただし公開されているとはいえ、内部の写真撮影は厳禁。
 私はしばしの間、写真撮影のことは忘れ、 観智院客殿内部の美しい枯山水の庭園風景や、五大虚空蔵菩薩像などを鑑賞していた。
 すると近くにいた係の人が、「よろしければご説明いたしましょうか?」と、 話しかけてきた。
 私はせっかくなので説明を受けることにすると、まずは床の間に通された。
 床の間の壁には、墨による二羽の鷲が描かれており、襖には同じく墨による 竹林が描かれていた。 その荒々しくも繊細な筆致は、どう見ても素人が描いたものではないと 感じるレベルだったが、係の人によると、それらは誰もが知る剣豪、宮本武蔵が描いたものだということである。
 なぜこの観智院に宮本武蔵の絵が残っているのかというと、宮本武蔵が、岡一門を打ち倒した後、その報復から逃れる為に3年間観智院に身を隠していたからだという。
 その後、係の人の話は庭園や、五大虚空蔵菩薩像などの話に及んだが、 結果的に最も時間を費やして話してくれたのは、観智院とは直接関係はない、剣豪・宮本武蔵の無敗神話についてであった気がする・・・。

ところで宮本武蔵といえば、誰もが知る大剣豪であり、一説によると、 生涯60戦以上戦い、一度も負けたことがないという、野球で言うところのイチローやまーくんどころの騒ぎではない、おそらく日本史史上、最強の剣豪と言える人物かもしれない。

そんな一見無敵に見える武蔵ではあるが、島原の乱では、ある武器により 戦闘不能にまで追い込まれたのをご存知だろうか。
 その武器とは、刀や槍ではなく、弓矢や鉄砲でもない。
 なんと、ただの石ころである・・・。
 しかも名のある武士にやられたのではなく、一揆軍、つまりはただの農民による投石に直撃しての負傷だというから驚きだ。
 現代の野球に例えると、マー君が全速力で投げた球を、素人のおっさんにホームランを打たれるようなものだろうか・・・?

しかし、石ころといっても侮るなかれ、中世の戦では投石による戦闘は常識で、 投石機を使用すれば殺傷能力は十分。
 直撃すれば、人間の頭なんて簡単に吹っ飛ばすことができたというし、 しかも玉である石ころなんてそのへんにいくらでも転がっているという強みもある。  ある種、攻撃力と経済性を兼ねた、最強の武器だといえるかもしれない。
 ただし、宮本武蔵がその投石機によって投げられた石に直撃したのか、はたまた農民が手で投げただけの石に当たったのかは、 謎だということだ。

・・・と以上、宮元武蔵が投石により戦闘不能になったという情報は、 2ちゃんねるにおける、『宮本武蔵「日本刀より石投げてくる奴の方が強い」←wwwwwwww』  というスレからの100%引用である。
 歴史書や歴史サイトを詳しく調べた訳ではないから、もし間違っていたらごめんなさいである・・・。

話は大幅に逸れたが、私は観智院参拝を終え、徒歩で『東寺東門前バス停』へ行き、 207番系統のバスに乗り込み、次の目的地である国宝・西本願寺(唐門飛雲閣)へ向かった。


初回訪問日&撮影日 2013年10月16日

(※国宝建造物撮影ポイント)

塀の内部は撮影禁止なので、外から屋根部分を撮るしかない。


@観智院入口

この門の中には、国宝客殿や本堂などがある。 内部は一切撮影禁止であるが、 それほど閉鎖的な印象は受けなかった。


A客殿(国宝)の屋根

外から撮影すると屋根部分しか 写せない。 それでもまだ撮影できるだけマシ。 京都市内の国宝建造物の中には、 撮影どころか、拝観自体ができないものもある。

アクセス 近鉄京都線「東寺駅」下車徒歩7分

駐車場 東寺参拝客専用駐車場有

国宝巡りドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
周辺道路は渋滞していることが多い。近鉄東寺駅から近いので電車、もしくはバスがおすすめ。
拝観期間は決まっているので、公式サイト参照。

住所
京都市南区八条通大宮西入下る柳原町


国宝建造物データ一覧へ戻る

HOMEに戻る
国宝建造物が複数ある場合は代表地点を表示


より大きな地図で 日本国宝建造物マップ を表示