国宝 観智院 客殿 京都市南区内部写真撮影禁止のため、塀の外から撮影した画像 内部写真撮影禁止のため、パンフレット掲載写真の画像 客殿(国宝) 観智院 客殿 国宝 1605年(慶長10年) HOMEに戻る |
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(歴史)鎌倉時代、後宇多法皇によって東寺の寺僧の住房が計画され、南北朝時代の
延文4年、1359年頃に杲宝(ごうほう)が創建した。 客殿は、慶長10年(1605)に完成したもので、入母屋造、銅板葺の代表的な書院造の住居建築で、 床の間の「鷲の図」、襖絵の「竹林の図」は、宮本武蔵による筆と伝わる。 実験的企画 国宝建築評価チャート図国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化(※)評価基準 ○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。 ○美しさ 見た目の美しさを点数化。 ○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。 ○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。 以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。 (国宝建造物訪問日記)この日、『京阪みやこ漫遊チケット』を使用し、京阪電鉄『東福寺』駅下車後、市バス『東福寺バス停』から202番系統のバスに乗り、『東寺南門前バス停』で降り、
最初にやって来たのが、東寺である。 ところで宮本武蔵といえば、誰もが知る大剣豪であり、一説によると、 生涯60戦以上戦い、一度も負けたことがないという、野球で言うところのイチローやまーくんどころの騒ぎではない、おそらく日本史史上、最強の剣豪と言える人物かもしれない。 そんな一見無敵に見える武蔵ではあるが、島原の乱では、ある武器により
戦闘不能にまで追い込まれたのをご存知だろうか。
しかし、石ころといっても侮るなかれ、中世の戦では投石による戦闘は常識で、
投石機を使用すれば殺傷能力は十分。
・・・と以上、宮元武蔵が投石により戦闘不能になったという情報は、
2ちゃんねるにおける、『宮本武蔵「日本刀より石投げてくる奴の方が強い」←wwwwwwww』
というスレからの100%引用である。
話は大幅に逸れたが、私は観智院参拝を終え、徒歩で『東寺東門前バス停』へ行き、 207番系統のバスに乗り込み、次の目的地である国宝・西本願寺(唐門と飛雲閣)へ向かった。 初回訪問日&撮影日 2013年10月16日
(※国宝建造物撮影ポイント)塀の内部は撮影禁止なので、外から屋根部分を撮るしかない。 |
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@観智院入口 この門の中には、国宝客殿や本堂などがある。 内部は一切撮影禁止であるが、 それほど閉鎖的な印象は受けなかった。 |
A客殿(国宝)の屋根 外から撮影すると屋根部分しか 写せない。 それでもまだ撮影できるだけマシ。 京都市内の国宝建造物の中には、 撮影どころか、拝観自体ができないものもある。 |
アクセス
近鉄京都線「東寺駅」下車徒歩7分
駐車場 東寺参拝客専用駐車場有 国宝巡りドライブ難易度 非常に易しい(★) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい おすすめアクセス方法 周辺道路は渋滞していることが多い。近鉄東寺駅から近いので電車、もしくはバスがおすすめ。 拝観期間は決まっているので、公式サイト参照。 住所 京都市南区八条通大宮西入下る柳原町 |
国宝建造物が複数ある場合は代表地点を表示 より大きな地図で 日本国宝建造物マップ を表示 |