国宝 鑁阿寺 本堂(栃木県足利市)








鑁阿寺
本堂
国宝
1299年(正安元年)

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(歴史)

鑁阿寺はもともとは足利氏の館であり、 その境内の周囲には土塁と堀がめぐっており、四方に門をもうけるなど、 鎌倉時代前後の武士の館の面影を残す。
 その創建は、足利2代義兼が建久7年(1196年)、邸内に持仏堂を建てて大日如来を祭ったのが始まりで、 3代義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺とした。  開創は義兼、開山は理真上人とする。

本堂(平成25年に国宝指定)は、桁行、梁間とも5間の入母屋造の本瓦葺建造物である。  正安元年(1299)の建立とされるが、応永14年から永享4年(1407〜1432)に、大規模な改造が行われた。  平面構成は前方2間分を外陣、後方3間分を内陣及び脇陣とする密教仏堂の形式だが、建築様式は禅宗様を基調とする。 密教寺院の禅宗様仏堂初期の例、関東地方の禅宗様仏殿の最も古い例として大変貴重とされる。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

一泊二日の北関東史跡巡り2日目。

初日は午前中に都内で諸用を済ませた後、東村山市でレンタカーを借り、 正福寺地蔵堂(国宝)→川越城(日本100名城)→ 鉢形城(日本100名城)→金鑽神社多宝塔(重要文化財)と巡り、 群馬県藤岡市のビジネスホテルで一泊。

二日目のこの日は、早々にホテルを出発し、まずは 箕輪城(日本100名城)を巡った後、 富岡製糸場(国宝)へ行き見学。  そこから少し離れているが、栃木県の国宝本堂有するここ鑁阿寺 (日本100名城・足利氏館)まで車を走らせた。

さて、この鑁阿寺。 もともとは、鎌倉時代に足利氏が自らの武家屋敷の邸内に建てた氏寺だった。  その足利氏一門の武家屋敷は、鎌倉武家屋敷の代表的なものと考えられ、その周囲に土塁や水堀があり、敷地の形が方形である点などから、 近世城郭の原点の一つだと考えられ、『足利氏館』の名で日本100名城に選出されている。
 ただし鑁阿寺境内には、肝心の足利氏の館の遺構は一切残っていないので、にわか城址ファンの私としては、 足利氏一門の氏寺であったとはいえ、この鑁阿寺の一体、どこが城址と呼べるのかイマイチ理解できなかった。

しかし、鑁阿寺本堂を見えた瞬間、この鑁阿寺が城址と呼べるのか否かということなど、一瞬でどうでもよくなった。

国宝・鑁阿寺本堂・・・。 それを拝観した感想は、とにかく素晴らしいの一言だった。
 古い建造物がそれほど多くない関東地方に、かくも古く、かくも貴重で、かくも美しい寺院建築が現存していようとは思っていなかった。
 鑁阿寺本堂が国宝指定されたのは、平成25年(2013)8月7日と、つい最近のことである。
 正直なところ私は、国宝指定されるまで、鑁阿寺本堂の存在を知らなかった。
 国宝を指定する専門委員は、やはり日本全国の建築をよく見ているんだな思った反面、 なんでこれほど素晴らしい建造物が、平成25年まで国宝に指定されていなかったのかという疑問もわいた。
 専門委員の利権やしがらみが、鑁阿寺本堂の国宝指定を大幅に遅らせたのではないかと、一瞬、疑いたくもなったが、 とにもかくにも国宝指定されたことにより、これほど素晴らしい建築の存在を知って、わざわざ関東まで拝観に来れてよかったと思う。

鑁阿寺本堂の素晴らしさはこれ以上、表現できないので、 上記の『国宝建築評価チャート図』の総合得点を私の感想として理解していただきたい。  ちなみに93点という点数は、今回の北関東旅行で見学した国宝建築の中で最高点であり、 今まで見学したすべての国宝建築の中でもかなり上位クラスにくい込む高い点数である。

私は本堂を拝観した感動の余韻冷めぬまま、次は、本堂すぐそばの鑁阿寺多宝塔を見学した。


初回訪問日&撮影日 2016年08月14日

(※国宝建造物撮影ポイント)
撮影自由

@太鼓橋と楼門


A多宝塔(県指定文化財)

足利義兼の創建と伝えられ、江戸時代元禄5年(1692)徳川五代将軍の母、桂昌院尼が再建。重層、銅板葺き、 頂上に九輪が立ち水煙がのる。


B鐘楼(重要文化財)

建久7年(1196)、本堂に次いで創建された鎌倉時代の禅宗様式の代表的なもの。  明治41年には国宝に指定され、昭和25年法改正により国重要文化財になる。


C経堂(重要文化財)

応永14年(1407)鎌倉公方足利満兼が再建したもので、昭和59年に国指定重要文化財に指定。  京都・知恩院に次ぐ大きさなのだという。


D中御堂(不動堂)


E本堂(国宝)

アクセス
JR両毛線「足利」駅から徒歩約10分。東武伊勢崎線「足利市」駅から徒歩約15分

駐車場 徒歩3分程度の場所に太平記館観光無料駐車場あり

国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝巡礼おすすめアクセス方法
どのアクセス方法でも問題ない。


〒326-0803 栃木県足利市家富町2220

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