国宝 厳島神社本社本殿、幣殿、拝殿、祓殿 広島市県廿日市市


前から見た厳島神社本社建造物群


写真向かって手前の建物が厳島神社本社本殿・奥の建物が厳島神社本社拝殿


本殿と拝殿を結んでいる建物が幣殿


本社拝殿内部


本社祓殿(本社南保命酒蔵ともいう)


厳島神社本社
本殿・幣殿・拝殿・祓殿
国宝
幣殿・拝殿・祓殿は1241年(仁治02年)建立
本殿のみ元亀2年(1571)に建て替えられたもの

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(歴史)

社伝によると厳島神社の創建は、推古元年(593)、佐伯鞍職によるとされる。
 仁安3年(1168)には、佐伯景弘が厳島神社を崇敬した平清盛の援助で社殿を造営し、現在のものと 同程度の大規模な海上社殿が整えられたという。 当社は平家一門の隆盛とともに栄えて平家の氏神となり、 平家滅亡後も源氏をはじめとした特の権力者の崇敬を受けるが、建永2年(1207年)と貞応2年(1223年)の2度の火災で建物の全てを焼失している。
 そのため、現在残る社殿は仁治年間(1240年-1243年)以降に造営されたものである。
 その後鎌倉時代から戦国時代にかけて荒廃したが、弘治元年(1555年)、厳島の合戦で勝利を収めた毛利元就が神社を支配下に置き、当社を崇敬したことから、再び隆盛。  また豊臣秀吉も九州遠征の途上で参詣して武運長久を祈願しており、その年、大経堂(千畳閣)建立を命じた。

厳島神社本社は、本殿と、幣殿・拝殿・祓殿が1棟にされた建物の2棟で構成される。  本殿のみ毛利元就が元亀2年(1571)に建て替えた建物で、他は仁治2年(1241)に建てられたものである。
 本殿の建築様式は、桁行正面八間、背面九間、梁間四間、一重、両流造、桧皮葺となっており、 その本殿と、拝殿(桁行十間、梁間三間)をつなぐ廊に屋根をつけた形になっている建物が幣殿(方1間)、 拝殿の手前に棟を直交させて建つ入母屋造、妻入の建物が祓殿(桁行六間、梁間三間)である。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

今回、ここ宮島へ来るのは初めてではなく、三回目になる。 しかも前回来たのはほんの4年前である。
 では、なぜ、そんな最近に訪れた宮島に、わざわざ大阪から車を走らせてまで、またやって来たのか?
 それにはちょっとした理由があった。

実は、4年前の宮島観光は、某旅行会社の一泊二日バスツアーのコースの一つとして来たのであって、 自らが計画して来たわけではなかった。 とはいえ当時の私は、既に仏塔等に非常に興味を持ち始めており、 バスツアーのイベントの一つである宮島観光では、五重塔や多宝塔、本殿などの写真を撮りまくろうと、 意気込んで島へ上陸したものである。
 しかしフタを開けてみたらそのバスツアーの宮島散策は、添乗員が付きっきりで自由行動が全くないものだった。
 それはツアー参加者全員が、まるで大名行列のように添乗員に付いていき、簡単な説明を受けながら足早に摂社客神社や 厳島神社を通り過ぎさせられ、最終的にはその旅行会社と契約していると思われる土産物屋の 中に閉じ込められ、15分程度の土産物購入時間ののちに、早々と船着場へ移動し、フェリーに乗って帰ってしまうという、 何とも酷い内容だったのだ。

なので、五重塔や多宝塔の場所までも行かせてもらえず、それら仏塔を厳島神社回廊などから望遠で 撮影するより他なかったのである。
 そんな限られた時間に二基の仏塔の写真を撮影していたものだから、肝心の厳島神社本社や摂社客神社の 写真を撮るのを忘れるという痛恨のミスをしたまま土産物屋に監禁(?)され、すぐにまたフェリー乗り場に 誘導され、さっさと帰ってしまったのだ。
 それに懲りてそれ以来私は、仏塔巡りや、国宝建造物巡り、100名城巡りの類に、市販のツアーを利用するということは、 絶対にしないようにしたものである。

と、前置きが長くなってしまったが、実に四年越しの宮島再訪。 今回は前回撮影し損ねた 国宝建造物である、厳島神社本社、摂社客神社、廻廊の撮影をメインに、 五重塔や多宝塔も近くまで行って撮影してみることにした。
 ところで厳島神社には、実は6棟もの国宝建造物がある。  その内訳は、@本社本殿、幣殿、拝殿(1棟)、A本社祓殿、 B摂社客神社本殿、幣殿、拝殿(1棟)、C摂社客神社祓殿、D廻廊東廻廊、E廻廊西廻廊 というものである。
 それら6棟の建造物はすべて繋がっており、少し複雑な形状をしている。  私の記憶する限りでは、厳島神社ではパンフレット等は配布しておらず、一つ一つの建物の説明板等も無かった。
 なので今回、旅行前にネット等で、 それら6棟の国宝建造物一つ一つが、この巨大な神社建築のどの部分をさすのか調べて、更に建物配置図をコピーし、 当日はそれを片手に厳島神社を見学し、それら6棟の国宝建造物すべてを可能な限り写真に収めることにした。
 こういう神社建築は建物の配置等の関係で、 すべての建造物を完全に撮影することがきないことが多々あり、厳島神社もその例にもれず完全にとはいかなかったが、 とりあえずは厳島神社における6棟の国宝建造物すべての撮影は成功した。


訪問日&撮影日 1回目 2010年03月30日  2回目 2014年08月11日

(※国宝建造物撮影ポイント)

外観は自由に撮影可能


@宮島口に到着したJR連絡船

宮島から帰ってきた乗客を降ろし、新たな乗客を乗せ再び宮島へ。  日中はほぼ15分おきに出航している。


A大鳥居(重要文化財)

JR連絡船に乗るとかなり近距離まで近づく。 奈良の春日大社大鳥居や敦賀の気比神宮の大鳥居とともに、日本三鳥居の一つに数えられる。


B神社入口

切妻造り


C高舞台

それにしても人が多かった。


D左楽房と左門客神社


E能舞台(附 橋掛及び能楽屋)

重要文化財


F大鳥居

日本三景の一つに数えられる宮島と聞いて、誰もが真っ先に思い浮かぶのがこの大鳥居ではないだろうか。
 宮島、天橋立、松島と、すべての日本三景は観光してきたが、私個人的にはこの宮島が一番素晴らしかった。


G真下から見た大鳥居

下から見上げると大迫力である。


H厳島神社本社

この日は潮が引いてたので海側からの撮影も可能だった。


I厳島神社本社(別角度)

海側から撮影できたのはよかったが、建物自体が低く、その上さらに低い場所から見上げる感じでの 撮影なので、なかなかうまく撮れなかった。


J摂社客神社(国宝)


K回廊(国宝)


L五重塔(重要文化財)

M多宝塔(重要文化財)

N神社出口(唐破風造り)

厳島神社は、こういった高台からの景色の方が美しいと思う。


O帰りは再びJR連絡船で

次は娘も連れてきたいものだ。

アクセス JR山陽本線「宮島口駅」下車、宮島口桟橋から船で「宮島桟橋」下船、徒歩10分

駐車場 宮島口駅周辺に有料駐車場が数カ所あり。島内には無し。

仏塔巡礼ドライブ難易度 (―)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法

島内の観光地はそれ程広くないので、フェリーで島に渡り、島内では徒歩移動で十分である。 車の場合、宮島口駅周辺の有料駐車場に駐車してからフェリーで渡るのがいい。



住所
広島県廿日市市宮島町1-1


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