国宝 西本願寺 阿弥陀堂 京都市下京区


阿弥陀堂(国宝)

西本願寺
阿弥陀堂
国宝
宝暦10年(1760)

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(歴史)

西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山である。 正式には龍谷山本願寺といい、西本願寺は通称である。 真宗大谷派の本山である 「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」下京区)と区別するため、両派本山は通称で呼ばれることが多くなったのだといいう。
 その歴史は、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が1263年(弘長2)に滅後、娘の覚信尼が、聖人の遺弟たちと、京都東山大谷に聖人の遺骨と影像を安置する廟堂を建てたことに始まる。  やがてこの廟堂が本願寺となり、その後、中興の祖である第8代宗主蓮如上人(1415〜1499)の時には教線が拡大され、 さらに第11代宗主顕如上人(1543〜1592)の時には、本願寺の寺基が現在の京都堀川六条に定められたという。

国宝・阿弥陀堂は、宝暦10年(1760)に再建された、東西42m、南北45m、高さ25mの巨大な建物で、 内部中央には阿弥陀如来の木像、両脇にインド・中国・日本の七高僧のうち六師の影像を安置する。
 桁行九間、梁間九間で、屋根は本瓦葺きの入母屋造。 同じく国宝の御影堂とは、 「渡り廊下」および「喚鐘廊下」で接続されており、これらの廊下も、阿弥陀堂と附属建造物として 国宝指定である。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

西本願寺の御影堂と阿弥陀堂は、2014年の9月18日、重要文化財から国宝指定に格上げされたばかりなのだが、 私が両国宝建造物を見学したのは、その国宝指定の約1年前の、2013年10月16日だった。
 その日は、本願寺内の既に国宝指定されていた唐門と、飛雲閣の見学を目的に来ていたので、 御影堂と阿弥陀堂に関しては、どちらも本願寺の主要建造物の一つとして、たまたま撮影していたにすぎなかった。
 長く国宝建造物巡りをしてきたが、そのように以前見学してたまたま撮影していた重要文化財建造物が、 格上げされて国宝建造物になったという経験は、今回が初めてである。
 今回の出来事によって、国宝建造物巡りをする際には、目的の国宝建造物を撮影するだけでなく、同じ境内のものはもちろん、 可能な限り、近くに有る少しでも多くの重要文化財建造物の写真も撮っておくということは、 国宝拝観全制覇を目指す者にとって、鉄則であることを、再認識させられた形だ。
 しかし、そういうこと抜きに考えても当時、御影堂、阿弥陀堂、の両建造物のその巨大さ、迫力には、 圧倒されたものである。
 ただし、正直なところ、これらの建造物が国宝に格上げされることなど、当時の私には予想だにできなかった。


初回訪問日&撮影日 2013年10月16日

(※国宝建造物撮影ポイント)

外構は自由に撮影可能


@飛雲閣(国宝)


A唐門(国宝)


B御影堂(国宝)


C書院

アクセス JR京都駅下車 徒歩10分

京都市バス「西本願寺前」下車すぐ

駐車場 有

国宝巡りドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
自動車でアクセスする場合は本願寺北側、北境内地駐車場を利用。
公共機関でのアクセスがおすすめである。

住所
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町


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