慈眼院 多宝塔
国宝
(1271年 鎌倉時代中期)
10.6m

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慈眼院 多宝塔 Jigenin Temple

伝承によれば、天武天皇の勅願寺として673年、井堰山願成就寺無辺光院の名で覚豪阿闍梨により開創され、 奈良時代の天平年間、聖武天皇の勅願寺となり、寺領1千石が加増されたという。 その後、弘仁6年(815年)、 空海によって多宝塔、金堂をはじめとする諸堂が再興されたと伝える。
 「慈眼院」の名は、江戸初期に京都仁和寺の末寺になった際、性承門跡より「慈眼院」の院号が下賜されたことによるという。
 現在の多宝塔は1271年建立で、石山寺金剛三昧院のものとともに、多宝塔の日本三名塔の一つに数えられる。


(訪問日記)

大阪府内の私の家から近くにありながら、工事中のためなかなか来れなかった寺院である。 数日前に工事が終わったようで、やっと予約をさせていただき、念願の拝観となった。

予想通りというか、参拝客は他におらず、あたり一面に生えた苔が趣のあるこじんまりとした寺院だった。

根来寺大塔や、東寺五重塔のように巨大な仏塔も迫力があって見ごたえがあるが、逆に小さな仏塔の繊細さというか、 品のよさも私は大好きである。

石山寺金剛三昧院と、この慈眼院多宝塔が日本三名塔に数えられるらしいが、十分うなづける話である。

そんな貴重な仏塔がある割に、マイナーな地位にあまんじている慈眼院だが、今までどおりむやみに人を集めず、いつまでも静かなたたずまいを 保っていてもらいたいものである。



初回訪問&撮影日(2010年09月13日)


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実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


金堂(重要文化財)


入り口駐車場付近から

多宝塔(国宝)

交通アクセス

JR阪和線「日根野駅」・南海本線「泉佐野駅」から南海バス「東上」下車すぐ

駐車場有

仏塔巡礼ドライブ難易度 易しい(★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

おすすめアクセス方法
目印等が無いので少し分かりにくいが、自動車がおすすである
参拝の際には予約が必要。詳しくは公式HPで

住所
〒598-0021 大阪府泉佐野市日根野626

より大きな地図で 日本国宝&重文指定仏塔マップ を表示

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