国宝 輪王寺 大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿(合1棟)
(栃木県日光市)


手前が相の間(国宝)、奥が本殿(国宝)


手前は唐門(重要文化財)、その後ろが拝殿(国宝)


拝殿(国宝)


相の間(国宝)

輪王寺
大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿
国宝
承応2年(1653年)

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(歴史)

輪王寺大猷院の大猷院という名は徳川家光の諡号である。 徳川三代将軍家光の廟所だが、「家康公の廟所である東照宮を凌いではならない」という 家光公の遺言により、東照宮に比べ規模は小さく控えめな造り。  東照宮再建に力を注いだ家光は、慶安4年(1651)4月に没したが、その遺言により、現在の地に葬られて、 翌年2月より廟所の建設が開始。 祖父家康の眠る東照宮に正面を向けるようにして造営された。

大猷院霊廟は、東照宮の豪華絢爛な印象など、よく似た形式を踏襲しながらも、規模も構成も控えめで、 むしろ繊細な趣と幽玄な印象と特徴とする建築である。 それは周囲を、透塀と唐門(重要文化財)で囲まれた 拝殿、相の間、本殿からなっており(禅宗様権現造り)、それらをひっくるめて大猷院霊廟という1棟の建造物として、 国宝に指定されている。  本殿には家光の御尊像が祀られており、全体的に禅宗仏殿形式で建てられているのに対し、 拝殿は和様と対照的。  また、外観だけでなく内部に至るまで金箔で覆われており、別名金閣殿とも呼ばれる。  建築様式は、本殿は、桁行三間、梁間三間、一重裳階付の入母屋造で銅瓦葺。  相の間は、桁行三間、梁間一間、両下造の銅瓦葺。  拝殿は、桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間軒唐破風付の銅瓦葺。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

東武日光駅から世界遺産めぐりバスに乗り込み「神橋」バス停で下車、神橋(重要文化財)を見学後、 日光山に入り、まずは日光東照宮御旅所本殿、拝殿、神饌所(重要文化財)を見学後、 輪王寺(四本龍寺)三重塔(重要文化財)のある場所へ行き、そこからさらに徒歩で小玉堂(重要文化財)立ち寄ってから、 日光山輪王寺へ。 そこで三仏堂、鉄多宝塔、相輪塔などを見学した後、 さらに徒歩で、日光東照宮へ来た。
 東照宮境内には国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟もの建造物があるので、石鳥居(重要文化財)から始まり、 文化財指定建造物の見落としがないように、順番に見学して行った。  三神庫(重文)や、御水舎(重文)、輪蔵(重文)などの他に、「見ざる言わざる聞かざる」の猿の彫刻で有名な、神厩舎(重文)といった、 極彩色に彩られ、華美な彫刻に飾られた建造物の数々を見学して行き、国宝である本殿、石の間及び拝殿・東西透塀・正面及び背面唐門・東西回廊・陽明門 の場所まで到達。 その国宝建築群のエリアから、坂下門をくぐり、参道を通って行った奥にある徳川家康公の墓所である奥宮宝塔を見学した後、 いよいよ本日最後の目的地、輪王寺大猷院へ向かった。
 大猷院へ行く途中で、日光二荒山神社や、常行堂(重文)、二つ堂(重文)、法華堂(重文)を見学し、 大猷院入り口へ。 拝観券は、先ほどの輪王寺で、『三仏堂、輪王寺大猷院共通拝観券』を900円で購入済みだったので、 それを受け付けに渡し、仁王門(重要文化財)をくぐり中へ入っていった。

さて、徳川三代将軍家光の廟所である輪王寺大猷院。 「家康公の廟所である東照宮を凌いではならない」という 家光公の遺言により、東照宮に比べ規模は小さく控えめな造りになっているということだが、 拝観してみて思ったのは、決して東照宮に引けをとらない豪華絢爛さだということだった。
 それはどういう点かというと、まずは、重要文化財指定建造物の数である。  東照宮の国宝8棟、重要文化財34棟という数には及ばないが、国宝1棟(大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿で合1棟)、 重要文化財20棟と、それほど広くない境内に、非常に多くの文化財指定建造物が密集して建っており、 しかも、日光東照宮の本殿の唐門に至るまでの主要な門は、仁王門、陽明門の二つだったのに対し、 大猷院では唐門へ至るまでに、仁王門、二天門、夜叉門と三つもあるのである。 その代り、大猷院のメインである夜叉門の装飾は立派ではあるが、 東照宮陽明門の豪華さには及ばない。
そしてもう一つ引けを取らないと思った点は、東照宮の本殿、石の間及び拝殿(国宝)と同じく『権現造』の大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿(国宝)に関して言えば、 東照宮では実質それらは、拝観不可能な場所に建っているのに対し、大猷院霊廟においては、正面と真横からじっくり拝観できるうえ、 写真撮影も禁止されていないという点である。  だから、東照宮では、陽明門の存在が強すぎて本殿、石の間及び拝殿がおまけのようになってしまっていたのに対し、 大猷院霊廟において、本殿・相の間・拝殿(国宝)は、その存在感の強さ、豪華絢爛さなど どれをとっても紛れもなく境内の中心として機能していると感じたのである。
 つまり、輪王寺大猷院は、決して、「小さな東照宮」などではなく、いい意味で、東照宮とは全く異質なものであると理解しておいた方がいいだろう。

ところで先ほど、輪王寺霊廟(本殿・相の間・拝殿)は、東照宮の本殿、石の間及び拝殿と同じく、『権現造』の建物であると述べた。
 『権現造』とは、別名『石間造』ともいい、神社建築の一形式である。  本殿と拝殿を板敷の石間または相の間という別棟の中殿でつなぎ、一連の建物としたもので、 奈良時代の双(ならび)堂ですでに見られ、平安時代に北野天満宮、桃山時代に豊国神社等があるが、 江戸時代に久能山や日光の東照宮、輪王寺大猷院で用いられて流行した。
 ちなみに『権現造』は東照大権現に由来するのだが、その名称は明治時代につけられたものであり、 このような建築様式は、日光東照宮でできるはるか昔から存在する。

では以下で、私が今まで参拝した『権現造』あるいは、『権現造』の原型とされる文化財建造物をいくつか挙げていこうと思う。


永保寺
開山堂
権現造の原型の一つとされる



大崎八幡宮
本殿・石の間・拝殿
権現造の遺構として現存最古



北野天満宮
本殿・石の間・拝殿・楽の間
現存のものは慶長12年(1607年)の建立だが、 元々の建物は平安時代に建てられた

久能山東照宮
本殿・石の間・拝殿
権現造社殿が全国に普及する契機となった最古の東照宮建築

日光東照宮
本殿、石の間及び拝殿
「権現造」という名称は、もともと徳川家康=東照大権現を祀る東照宮の形式という意味

輪王寺大猷院
霊廟(本殿・相の間・拝殿)
日光東照宮の豪華絢爛な印象など、よく似た形式を踏襲



歓喜院
聖天堂(拝殿・中殿・奥殿)
廟型式権現造




日光東照宮御仮殿
本殿、相之間、拝殿
御仮殿は、本殿の工事を行う際に、 本殿で祀った神様を一時的に遷すための「仮の本殿」

以上、権現造あるいは、権現造の原型とされる建造物を挙げたが、それぞれの建造物の詳細に関しては、各写真をクリックすると リンク先に飛ぶのでそちらをみていただきたい。

以上、この輪王寺大猷院霊廟の見学をもって、日光山の史跡見学行程すべてを終えた。  不本意ながら開山堂などいくつかの重要文化財建造物に関しては未見学に終わったが、最低限、拝観できるすべての仏塔と、 国宝建築の見落としは無かったので満足のいく史跡めぐりとなった。  仏塔、国宝建築巡りをはじめて早10年。 日光の社寺は初期のころから最も行きたい場所の一つだったので、 今回念願かなって来れてよかったと思う。


初回訪問日&撮影日 2019年02月08日

(※国宝建造物撮影ポイント)
建物の内部は撮影禁止で外観は撮影自由だが、場所が狭いため大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿建物全体を撮影するのは困難ではあるが、 拝殿と、本殿・相の間を分けて撮影するといい。

@常行堂(重要文化財)


A渡廊(重要文化財)


B法華堂(重要文化財)

常行堂は、嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁によって、 比叡山延暦寺の「にない堂」に模して建立された。 純和様の宝形造で、隣の純唐様の法華堂との間に、 歩廊を設け接続されている。 この形状は珍しく、現在では比叡山延暦寺とここ輪王寺常行堂の 二か所のみとなっている。 現在の建物はすべて江戸時代に再建されたものである。  本尊は平安末期の仏像である宝冠五智阿弥陀如来であり、 国の重要文化財に指定。 宝冠を頂き、クジャクに乗った姿であり、法・利・因・語の四菩薩を周囲に 配している。




C仁王門(附 左右袖塀)(重要文化財)

輪王寺大猷院の正門である仁王門は承応2年(1653)の建造。  建築様式は三間一戸、八脚門、切妻、銅瓦葺きである。  建物全体は朱色を基調として上部の構造体は黒色、金物を金、彫刻を極彩色で彩っていて、 高さ3m20cmの密迹金剛と那羅延金剛の2体の仁王像が左右に安置されている。


D宝庫(重要文化財)

宝庫は承応2年(1653)に建てられた建物で、入母屋、銅瓦葺、平入、桁行7間、3間向拝付きの校倉造である。  建物全体は朱色を基調として金具が金、建具が黒で彫刻は僅かに向拝廻りと外壁の蟇股のみで極彩色で彩られている。


E水屋(重要文化財)

水屋(水盤舎)の建造年は承応2年(1653)。 切妻、銅瓦葺き、唐破風付きで、 4隅に各3本の御影石の柱が屋根を支える独特な構造であり、柱の白色と上屋の極彩色の対比が際立つ。



F二天門(附 左右袖塀)(重要文化財)

二天門は承応2年(1653)の建造。 桁行5.3間(約9.6m)、梁間3.1間(約5.64m)、 三間一戸、八脚楼門、入母屋、銅瓦葺き、前後の屋根に唐破風が設えらている。  朱色が基調で金物は金、1層目の組物が黒、2層目の組物が極彩色に色分けられている。  日光東照宮の陽明門とは対になる関係で、陽明門が白色なのに対し二天門は弁柄色で若干控え目な意匠にして 敬意を表しているのだという。


G別当所竜光院(重要文化財)

大猷院を管理する僧院。 桁行25.2m、梁間12.6m、一重、寄棟造段違、北面六畳二室、背面北端物置附属、銅瓦葺で、 通常非公開。


H鐘楼(重要文化財)

鐘楼と鼓楼はほぼ同形状の建造物である。 向って右側が鐘楼、左側が鼓楼であり、 どちらも承応2年(1653)の建造。 規模は、桁行2.5間、梁間2.1間、  建築様式は、入母屋、銅瓦葺きであり、下層部には袴腰、上層部には高欄が廻されている。  全体的に黒を基調とし(高欄は弁柄)、屋根廻りの金物を金箔、上層部の組物や彫刻は極彩色で彩られている。


I鼓楼(重要文化財)

鐘楼とほぼ同じ。





J夜叉門(附 左右袖塀)(重要文化財)

夜叉門は承応2年(1653)の建造。 建築様式は、八脚門、切妻、銅瓦葺き、正面には唐破風がついている。  全体的には朱色が主体で組物と金物が金、彫刻が極彩色で彩られ、牡丹、唐草牡丹の彫刻が多用されている事から牡丹門の別称がある。  内部には東西南北を表している色違いの毘陀羅像、阿跋摩羅像、烏摩勒伽像、健陀羅像が安置されている。



K夜叉門内部の毘陀羅像、阿跋摩羅像、健陀羅像、烏摩勒伽像

毘陀羅像(赤)は、肩から金色の衣をまとっており、一番派手な衣装である。膝当てはナマズが顔をだし、 靴を履いている。
 阿跋摩羅像(緑)は、金色の肩掛けと、白虎の毛皮を腰に巻き、素足。威圧感ある表情が特徴。
 健陀羅像(白)は、右手に斧を持ち、水玉模様のブーツの様なものを履いている。
 烏摩勒伽像(青)は、左手に弓、右手には破魔矢の原点ともいわれる矢を持ち、象の膝当てをし、素足。


L唐門(重要文化財)

唐門は承応2年(1653)の建造。 その規模は一間一戸、高さ3mと大猷院内で最小の門である。  屋根は唐破風で前面は丸柱、背後は角柱で破風内部には雌雄の鶴、欄間には白竜、木鼻には獅子が彫り込まれており、 扉は両戒棧唐戸で上部には鳳凰、下部には唐草などの透かし彫りが施されている。  又、門全体は金を基調に極彩色で彩られる。


M皇嘉門(附 左右袖塀)(重要文化財)

皇嘉門は、家光公御廟への入り口の門である。 承応2年(1653)建造の一階塗籠楼門である。  これは中国明朝建築の竜宮造りであり、 その特徴は1層目の白漆喰と2層目の極彩色豊かな彫刻との対比であり、別名「竜宮門」と呼ばれる。  この門の先に家光公の墓所があるのだが、門から先は非公開になっている。  ちなみに、家光公の墓所には、銅包宝蔵、奥院宝塔(銅製)(附 銅製華瓶・燭台・香炉、石玉垣)、 奥院鋳抜門(銅製)、奥院拝殿といった建造物があり、それらは重要文化財に指定されている。




N瑞垣(重要文化財)

瑞垣(みずがき)は、承応2年(1653)の建造。



O霊廟(本殿)(国宝)

アクセス
東武日光駅から世界遺産めぐりバスで15分、「大猷院・二荒山神社前」下車、徒歩すぐ

駐車場 有

国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝巡礼おすすめアクセス方法
駐車場は土日は大変混み合う。500円で日光山内フリー区間乗り降りし放題の、 世界遺産めぐりバス世界遺産めぐり手形の利用がおすすめ。


栃木県日光市山内2300

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