指定無 歓喜院 多宝塔 (埼玉県熊谷市妻沼1627)


歓喜院(高野山真言宗)
多宝塔
約15m
指定無
昭和33年(1958年)

その他の仏塔画像ギャラリーAに戻る

HOMEに戻る

(歴史)

寺伝によると歓喜院は、治承3年(1179)、この地方の庄司斎藤別当実盛が、本尊大聖歓喜天(聖天)を 総鎮守として祀る聖天宮を建立し、民衆の祈願所として開創したのが始まりとする。
 中世には忍城主の庇護を受け、近世初頭には徳川家康によって再興もされたが、 寛文10年(1670)の大火で焼失。 現存する聖天堂(本殿)は、享保から宝暦年間にかけた再建されたものである。

昭和33年に建てられた歓喜院多宝塔は、平和の塔と呼ばれ、戦没者供養や水子供養、精霊供養などの祈願が行われる。  本尊は十一面観音。


(仏塔訪問日記)

一泊二日の北関東史跡巡り2日目。

初日は午前中に都内で諸用を済ませた後、東村山市でレンタカーを借り、 正福寺地蔵堂(国宝)→川越城(日本100名城)→ 鉢形城(日本100名城)→金鑽神社多宝塔(重要文化財)と巡り、 群馬県藤岡市のビジネスホテルで一泊。

二日目のこの日は、早々にホテルを出発し、まずは 箕輪城(日本100名城)を巡った後、 富岡製糸場(国宝)へ行き見学。  そこから更に、栃木県の鑁阿寺 (日本100名城・足利氏館)まで車を走らせ、国宝・鑁阿寺本堂と 県指定文化財・鑁阿寺多宝塔を見学し終えた後、 更に日本100名城・金山城まで車を走らせ見学。  そしていよいよ今回の旅行で最後の訪問地である 国宝・聖天堂を有する歓喜院までやってきた。

この歓喜院多宝塔は、国宝・聖天堂見学後に拝観したのだが、 実は私は、前日まで歓喜院にこの多宝塔があることを知らなかったのである。
 昨晩、ビジネスホテルの部屋のベッドで、なにげにスマホをいじっていて、 歓喜院の公式サイトを見ていたら、始めてこの多宝塔(平和の塔)の存在を知ったのだ。  昨晩それを見ていなければ、この多宝塔は目立たない場所にあるので間違いなくスルーしてしまっただろう。
 昭和33年に建てられた無指定の仏塔だとはいえ、国宝建築に夢中になりすぎて、 サイト名にもなってて当サイトのメインであるはずの仏塔を、 すぐ間近まで来ていながらスルーしてしまったなんてなっていたら、無様すぎることこの上なかったところである。
 急遽決まった旅行であったとはいえ、事前の下調べは重要だと思った。

さて、この歓喜院多宝塔の見学をもって、今回の一泊二日の北関東史跡巡りのすべての旅行行程が 終了した。  私は再びレンタカーを走らせ、道中、帰省ラッシュで混み合うも、 無事に東村山市のレンタカー屋に戻って返却。 そこから電車に乗り、東京駅に着いたのは5時30分だった。
 新幹線出発まで2時間近く時間があったので東京駅周辺をのんびり散策した後、 地下のラーメン屋でとんこつラーメンセットを食べた。
 客の入りから鑑みるに、おそらく有名店ではないようだが、ハードスケジュールだったこの日は、朝から何も食べていなかったので、 大変美味く感じた。
 それから新幹線のあらかじめ予約していた指定席がある号車の乗り場へ歩いて行ったのだが、 駅のホームはお盆の帰省ラッシュの自由席に乗り込む乗客たちの人ごみで、ものすごいことになっていた。  どうでもいいけど、お盆の時期のニュースで毎年のように新幹線の連結部ですし詰め状態で 立ち乗りする家族などを見るが、事前に指定席を予約しておくとか、どうにかならなかったのかと思ってしまう。

それを横目に私は指定席に乗り込み、全旅行行程を無事に終了させた達成感の余韻にひたりながら、 快適な気分で新大阪へ帰っていった。


初回訪問日&撮影日 2016年08月14日




聖天堂奥殿(国宝)


聖天堂拝殿(国宝)

歓喜院への交通アクセス
JR高崎線「熊谷駅」よりあさひバス「太田駅行き」「西小泉駅行き」「妻沼聖天前行き」で約25分、「妻沼聖天前バス停」下車すぐ

駐車場 有

仏塔巡礼ドライブ難易度 易しい(★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

歓喜院へのおすすめアクセス方法

自動車によるアクセスがおすすめ
住所
埼玉県熊谷市妻沼1627


HOMEに戻る