国宝 大宝寺 本堂 愛媛県松山市大宝寺 本堂 国宝 鎌倉時代前期 HOMEに戻る |
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(歴史)大宝寺は、寺伝によると、大宝元年(701)に地元豪族・越智玉興によって創建されたと伝わる。
江戸時代には、松山藩主の祈願所となり、貞享2年(1685)には、
松平氏の4代藩主である松平定直によって、本堂修理が行われたという。
実験的企画 国宝建築評価チャート図国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化(※)評価基準 ○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。 ○美しさ 見た目の美しさを点数化。 ○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。 ○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。 以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。 (国宝建造物訪問日記)この日は愛媛県内の日本100名城(大洲城・宇和島城・湯築城)を巡った後、国宝本堂有するここ大宝寺へ
立ち寄った。
『とある子宝に恵まれなかった長者が、大宝寺のお薬師様に願かけをしたら、願いが叶って女の子が生まれる。 女の子は露と名付けられ大事に育てたが、ある日、乳母のお乳が出なくなる。 再びお薬師様のおかげでなおったので、 そのお礼に長者が建てたお堂が、大宝寺本堂だという。 露が15歳のとき病にかかり、乳母は、 自分の命にかえてもお嬢様をお助けくださいとお薬師様にお祈りした。 するとそのかいあってか、露は元気になるも、乳母は倒れ床についた。 乳母はお薬師様との約束ですといって、 薬も口にせず、「お薬師様にお礼として桜の木を植えてください」と言って死んでしまった。 長者は乳母の言葉通り、桜を本堂の前に植えた。 すると不思議なことに、桜は枝なしに幹から二〜三輪花が咲き、 その花の色は、母乳のような色で、花はまるで乳母の乳房のようであったという・・・。』 以上が、大宝寺に伝わる『うば桜伝説』である。 何とも、大報恩寺の『おかめ伝説』に匹敵するほど、悲しい物語である。
私は誰もいない境内をあとにし、この日最後の目的地である、太山寺へ向かった。 初回訪問日&撮影日 2014年01月17日
(※国宝建造物撮影ポイント)外観は自由に撮影可能 |
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@本堂(国宝)と乳母桜 |
A本堂(国宝) |
アクセス
JR予讃線「松山」駅から徒歩20分
駐車場 有 国宝巡りドライブ難易度 (★★★) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい おすすめアクセス方法 寺へ至る道と駐車場は狭いが、距離は短い。 極端に車幅が大きい車でない限り問題ない。 住所 愛媛県松山市南江戸5−10−1 |
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