国宝 太山寺 本堂 愛媛県松山市





太山寺
本堂
国宝
1305年(嘉元03年)

国宝建造物データ一覧に戻る

HOMEに戻る

(歴史)

寺伝によると太山寺は、天平11年(739)、聖武天皇の勅願により行基が開いたという。
 伊予の豪族河野氏は、嘉元3年(1305)と文明17年(1485)に、本堂、山門などの大修理を行った。
 その後、松山城城主加藤嘉明、松平家歴代藩主の帰依を受け、今日に至ったという。

本堂(国宝)は、鎌倉時代の嘉元3年(1305)に建てられたもので、桁行七間、梁間九間、一重、 入母屋造、二軒、本瓦葺で、愛媛県内最大の木造建造物であるとともに、全国屈指の規模を誇る 密教寺院本堂である。
 その木組は大きく、柱は円柱、おおむね和様であるが、禅宗様や大仏様の手法も取り入れた鎌倉時代特有の、 雄大豪壮な建造物である。
 内陣が土壇になっているのは全国的に珍しく、蟇股の曲線は当時の名工の類稀にみる 傑作だという。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日は自動車で、愛媛県内の日本100名城(大洲城宇和島城湯築城)と、 国宝建造物(大宝寺本堂)を巡った後、 最後の目的地である、太山寺へやって来た。
 正直なところもう少し時間があれば、太山寺の後に、同じ愛媛県内の今治城や、興隆寺あたりへも足を伸ばしたかったのだが、 今回は、一つ一つの史跡に時間をかけてゆっくり見学したので、太山寺へ着いた時には夕方4時近くになっていた。  だから今治城と興隆寺への訪問は、またの機会にすることにした。

ところでこの太山寺についてであるが、実は、私が国宝建造物巡りを始める前からその存在だけは知っていたのである。
 愛媛県の太山寺を知ったきっかけは、2010年当時のことである。
 その頃私は、仏塔巡りを初めて間もないころだったのだが、同名の兵庫県内の寺である 『太山寺』の三重塔を見学に行くことになり、ネットで検索しているうちに、兵庫県・太山寺は、三重塔よりも、 国宝に指定されている本堂が有名だと知る。
 そこで私は、Googleで、『太山寺』、『本堂』、『国宝』と検索をかけてみると、 検索結果は、兵庫県の太山寺と、愛媛県の太山寺が、ほぼ交互に現れたのである。
 もののついでだからと両寺を調べてみると、どちらの太山寺にも国宝指定の本堂があることを知り、しかも建立年代も、 兵庫県太山寺本堂が1285年で、愛媛県太山寺本堂が1305年と、かなり近い年代であることを知った。
 両寺の本堂を画像検索すると、見た目はまるで違い、宗派も全く違ったが、和様と禅宗様が混在している点など、共通する点もいくつかあり、 当時の私は、なかなか興味を持ったものである。

あれから4年。 ようやくここ、愛媛県の太山寺へ来ることができた。 そして、兵庫県太山寺の本堂にも劣らぬ、 堂々として、豪放な雰囲気のその本堂を間近で見たとき、何とも言えぬ感慨を覚えたものである。
 一口に4年といっても、結婚したり、子供が産まれたりと、実に様々な出来事があった。 私はその自分自身の4年間を思い起こしながら、 かねてより画像で見ていた印象よりも、遥かに巨大で素晴らしい建造物を、日が暮れるまで眺めていた・・・。


※追記(同年4月5日)
 この数日後、小学校時代から続いていた数十年来の友人が、東京滞在中に心筋梗塞で亡くなるという悲しい出来事があった。
 私とその友人は笑いのツボがほぼ同じだったので、普段滅多に笑わない私も、その友人と話す時はとても愉快な気持ちになり、時には腹がよじれるほど笑っていた。
 これから年月を重ね、お互いどんなに歳をとっても、二人にしか分からない内輪トークで盛り上がれると信じていたのに残念だ。
 友人の死から3ヶ月間は、色々な面でやる気を失い、史跡巡りなどをする気分にはなれなかった。
 しかしそんな悲しみも、時とともに、少しずつではあるがはれてきた気がする。
 おそらくこの歳になって、その友人ほど気を使わず、素の自分をさらけ出せる相手は現れないだろうが、 たった一度の人生、どんどん楽しいことを探して、いっぱい動き回らなければ損である。
 次回は5月初旬ぐらいに史跡巡りを再開していきたい。
 行き先はだいたい決まっている。 今から楽しみだ。


初回訪問日&撮影日 2014年01月17日

(※国宝建造物撮影ポイント)

外観は自由に撮影可能


@参道

石段手前は昼でも薄暗いが、石段を登ると一気に明るくなる。


A四天王門

別名三の門といい、一の門は境内から0.8キロメートル離れた場所にあり、ニの門(二王門)は一の門と三の門の間にある。 二の門(二王門)は、重要文化財に指定されている。


B境内

境内は広々している。


C四天王門

入母屋造楼門


D鐘楼堂

鐘楼の中にある梵鐘は、県指定有形文化財で、高さ116cm、直径61cmであり、永徳3年(1383)の刻銘がある。


E本堂(国宝)

内部には歴代の天皇が勅納した7体の十一面観世音像が安置されている。


F本堂(国宝)

別角度から撮影。 太山寺は四国霊場第52番札所である。


G本堂(国宝)

背後から撮ったもの


H石段降りて右手のお堂

右手にお堂があったので行ってみた。


I五重塔

すると、五重塔が・・・。

アクセス 高浜線三津駅より伊予鉄道バス 三津ループ線に乗車「太山寺」下車徒歩20分

駐車場 有

国宝巡りドライブ難易度 (★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
自動車によるアクセスがおすすめ 

住所
愛媛県松山市太山寺町1730


国宝建造物データ一覧へ戻る

HOMEに戻る
国宝建造物が複数ある場合は代表地点を表示


より大きな地図で 日本国宝建造物マップ を表示