国宝 高山寺 石水院(五所堂) 京都市右京区高山寺 石水院(五所堂) 国宝 鎌倉時代前期 HOMEに戻る |
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(歴史)宝亀5年(774年)、現在高山寺があるこの地で、光仁天皇の勅願によって神願寺都賀尾坊が開創された。 弘仁5年(814年)には、栂尾十無尽院と改称され、鎌倉時代には、明恵上人が、後鳥羽上皇・ 近衛・鷹司・西園寺家などの帰依により堂坊を復興し、中興開山した。 明恵上人は、建永元年(1206年)、後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、また寺名のもとになった「日出先照高山之寺」の額を下賜された。 この時が現・高山寺の創立と見なされている。 高山寺は中世以降、たびたびの戦乱や火災で焼失し、鎌倉時代の建物は石水院を残すのみとなっている。 国宝建造物、石水院は、明恵上人が後鳥羽上皇より学問所として賜った建物であるが、安貞2年(1228)の洪水で、東経蔵の谷向いにあったもとの石水院は亡ぶ。 現在の石水院は、元々は、東経蔵として金堂の東にあったものが石水院の名を継いで、中心的堂宇となったもので、 明治22年、現在地に移築した。 上人中興時代唯一の遺構である。 機能的であり簡素、それでいて優雅さを併せ持つ、 住宅建築の傑作として、歴史的価値が高い。 実験的企画 国宝建築評価チャート図国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化(※)評価基準 ○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。 ○美しさ 見た目の美しさを点数化。 ○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。 ○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。 以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。 (国宝建造物訪問日記)この日は、『京阪みやこ漫遊チケット』を使用して京都市内の主に国宝建造物を市バスで巡った。
以上10件の国宝建造物を巡り終えた時点で時計を見ると、まだ14時50分だったので、
私は急遽行程を増やし、『御室仁和寺前』バス停からJRバスに乗り、国宝・石水院有する高山寺へ行くことにした。
バスを降りると、同じ京都市内とはいえ、先ほど巡った二条城周辺などとは大違いの山景色だった。
バス停のすぐ近くには裏参道の石段が山奥へ伸びており、そこを歩いて行くとすぐに入山料受付が。
この入山料(500円)は紅葉の時期だけ必要である。 しかし正直なところこの日はまだ、紅葉の見頃というほどではなかったので、
その点では少し残念だったが、その分紅葉真っ盛りの時期には沢山訪れるといわれる観光客がほとんどいなくて、ゆっくり参拝できたのはよかった。
山の中にひっそりと佇むこの石水院は、風情がある庭園があり、
日当たりのいい縁側からは、向かいの紅葉に色づき始めた美しい山々が見渡せた。
もともと学問所として明恵上人が後鳥羽上皇より賜ったものだということだが、これほど日当たりや景色など、文句のつけようのないロケーションなら、さぞ学問も捗ったことだろう。
(※しかし実際にはこの建造物は、金堂の東側にあった東経蔵であり、もとの石水院が洪水で亡んだ後に石水院の名を受け継ぎ、明治時代に移築したものであるので、実際に明恵上人が後鳥羽上皇より賜った建物ではないのだが・・・。)
その後、私はバス停へ向かい、帰宅の途についた。
初回訪問日&撮影日 2013年10月16日
(※国宝建造物撮影ポイント)自由に撮影可能ではあるが、山中に建っているために建物全体像を撮影するのは困難。 |
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@裏参道の石段 バス停到着後、道路を挟んで向かいの山の裏参道石段を登っていった。 私以外の参拝客は誰ひとりいなかった。 |
A石水院入口 裏参道の石段は思ったよりも長くなく、すぐに国宝・石水院入口に到着した。 到着してすぐは誰もいなかったので不安になるも、すぐに係の人が来た。 |
B石水院(国宝)内部 この手の寺院住居系建造物で、建物内部が撮影自由なのは珍しいかもしれない。 |
C善財童子像 ここは石水院の廂の間。落板敷の中央に、小さな善財童子(ぜんざいどうじ)像が置かれている。 |
D「日出先照高山之寺」額 建永元年(1206)11月、後鳥羽院の院宣により明恵が栂尾の地を賜ったのが高山寺の起りである。 写真中央の額は、その際に下賜された後鳥羽院宸翰の勅額といわれる。 |
E石水院南縁 南面は清滝川を越えて向いの山々を見ることができ、視界が一気に開けている。 この日はまだ、所々しか紅葉状態ではなかったが、紅葉真っ盛りの頃に来れば、さぞかし美しいことであろう。 |
F石水院内庭園 苔むした庭園も美しかった。 |
G金堂 現在の金堂は江戸時代寛永年間(1624〜44)に御室仁和寺真光院から 古御堂を移築したものである。釈如来像を本尊とする。 かつて焼失した本堂の位置に建っている。 |
H開山堂(重要文化財) 明恵(1173〜1232)が晩年を過ごし、入寂した禅堂院の跡地に立つ。 現在の建物は江戸時代に再建されたもの。 明恵の肖像彫刻(国の重要文化財)を安置する。 |
I参道 鬱蒼と木々が生い茂る参道は、昼でも薄暗くていい雰囲気だ。 |
アクセス
JR京都駅からJRバス高雄・京北線「栂ノ尾」「周山」行で約55分
「栂ノ尾」バス停下車すぐ
駐車場 有 国宝巡りドライブ難易度 易しい(★★) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい おすすめアクセス方法 バスか自家用車、どちらで来ても問題ない。 住所 京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8 |
国宝建造物が複数ある場合は代表地点を表示 より大きな地図で 日本国宝建造物マップ を表示 |